江島神社

江ノ島神社[縣社]
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

片瀬から桟橋を渡って行くことができます。辺津宮、中津宮、奥津宮と呼ばれる3か所に社殿があり、奥津宮には多紀理比売命、中津宮には市寸島比売命、辺津宮には田寸津比売命を祀っています。平安時代の寿永元年(1182年)源頼朝の本願によって文覚上人が弁才天を勧請し、以来鎌倉幕府の崇敬が厚く、厳島や竹生島とともに有名でした。元は金亀山与願寺というお寺でしたが、明治初年(1868年)神社となりました。7月14日の例祭は神輿渡御などがあって非常に賑わいます。奥津宮の先へ進んだ島の南岸、相模灘の波が打ち寄せているところは稚児ヶ淵と呼ばれます。さらに進んで隧道を抜けると岩窟があります。御岩屋といい、その奥には辺津、中津、奥津の三祭神があわせ祀られています。

※底本:『日本案内記 関東篇(初版)』昭和5年(1930年)発行

令和に見に行くなら

名称
江島神社
かな
えのしまじんじゃ
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
神奈川県藤沢市江の島2-3-8
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

片瀨から棧橋を渡つて達する。邊津宮、中津宮、奧津宮と稱し三ケ所に社殿があり、奧津宮には多紀理比賣命、中津宮には市寸島比賣命、邊津宮には田寸津比賣命を祀る。壽永元年源賴朝の本願によつて、文覺上人が辨才天を勸請し、鐮倉幕府の崇敬厚く嚴島、竹生島と共に有名であつた。元は金龜山與願寺と稱する梵刹であつたが、明治初年神社とした。七月十四日の例祭は神輿渡御などがありて頗る賑ふ。奧津宮の先、島の南岸相模灘の怒濤の寄せて居る所を稚兒ケ淵と稱して居る。尙進み隧道を拔けると岩窟がある。御岩屋と稱し、その奧には邊津、中津、奧津の三祭神が倂せ祀つてある。

藤沢のみどころ