江の島

江ノ島
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

島の海抜40m以下は地質上第三紀の凝灰岩や凝灰質砂岩などからなり、対岸の片瀬付近とともに第三紀の末に隆起した陸塊の一部で、その表面は一時浅海の下に海蝕台地となっていたものです。その後次第に隆起しその際海水に侵蝕されて陸地と隔たれ、上には火山灰が積もり、それが分解されて赤土層となったものが20mの厚さに重なっています。南岸にある御岩屋と呼ばれる洞窟は、塊状の凝灰岩のなかに北西に走る断層に沿って、海水に侵食されてできたもので、窟の天井には断層の割目が一直線となって走っているのが見られます。洞口から100歩ほど入ったところで断層は2筋となり、洞はそのひとつに沿って深く入り込んでいます。さらに50歩ほど進むと10度ほどの角度で交叉します。断層のために洞は2つに分かれ、両方とも40歩ばかりで行き詰りになっています。洞窟は一枚岩の磨肌を現わし断層であることを示しています。洞窟が生じた後、江の島は徐々に隆起し、特に大正12年(1923年)関東大地震の際には10mもの隆起が生じ、付近に第二の海蝕台地が海水面上に露出しています。

※底本:『日本案内記 関東篇(初版)』昭和5年(1930年)発行
江の島

令和に見に行くなら

名称
江の島
かな
えのしま
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
神奈川県藤沢市
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

島の海拔四〇米以下は地質上第三紀の凝灰岩及凝灰質砂岩などより成り、對岸の片瀨附近と共に第三紀の末に隆起した陸塊の一部で、その表面は一時淺海の下に海蝕臺地となつて居たものである。その後漸次隆起しその際海水に侵蝕せられて陸地と斷たれ、上には火山灰を戴き、その分解して赤土層となつたものが二〇米の厚さに重なつて居る。南岸にある御岩屋と稱する洞窟は、塊狀の凝灰岩中に北西に走る斷層に沿ひ、海水に侵されて出來たもので、窟の天井には斷層の割目の一直線をなして走つて居るのが見られる。洞口から百步ばかり入つた處に斷層は二筋になり、洞はその一に沿うて深く入り込んで居る。更に進むこと五十步ばかりで一〇度ほどの角度で交叉する。斷層のために洞は二つに分れ、兩方とも四十步ばかりで行き詰りになる。洞窟は一枚岩の磨肌を現はし斷層であることを示して居る。洞窟の生じた後江ノ島は漸次隆起し、特に大正十二年關東大地震の際に俄然一〇米の隆起をなし、附近に第二の海蝕臺地が海水面上に露出して居る。

藤沢のみどころ