弥山

彌山(御山)
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

厳島神社能楽台の出口のあたりから上れば、約1時間半で頂上に達します。弘法大師開創の山と伝え、山容の突き出した様子が須弥山に似ているとして、弥山と名付けたといいます。麓に大聖院本坊あり、真言宗御室派に属し、平安時代の大同元年(806年)弘法大師の開創となるところといい、往昔は厳島の総本坊、大明神の別当で、御室御所の脇門跡でしたが、現在弥山諸堂を管しています。石磴道を経て仁王門を潜って上れば、山頂に近い途中に大聖院奥の院があり、求聞持堂と称し、弘法大師の建立と伝わる霊場で、本尊虚空蔵菩薩を安置しています。堂は近年焼失して後の建物で伊藤博文の筆になる「能満諸願大道場」の額が懸かっています。開持以来の消えずの霊火があります。堂の向かって左、小高いところに三鬼大権現あり、追帳鬼、摩羅鬼、時眉鬼の三鬼神を祀っています。さらに上れば鐘楼があり、古鐘が懸かっています。文字漫漶で読み難くかつ破損していますが次の銘文があります。

伊都岐嶋弥山 水精寺 奉施人 治承元年丁酉二月日 建立聖人永意 施主 右大将平宗盛

さらに上れば頂上で頂上石、見晴台があります。下山は別路を取り約50分を要します。途中満干石、里見石その他あり、大日堂は弥山の本堂でもと神護寺と称し、宝形造の小堂で大日如来および不動明王坐像を安置します。御山神社は朱塗の三社殿に、市杵島姫等三神を祀っています。また竜馬場一名駒ヶ林は厳島合戦に、弘中参河守隆包兄弟敗死の古戦場です。護摩谷の霊場跡を経て大元谷に出れば桜谷公園、大元神社があり、宮島ホテルのそばに出ます。

※底本:『日本案内記 中国・四国篇(初版)』昭和9年(1934年)発行

令和に見に行くなら

名称
弥山
かな
みせん
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
広島県廿日市市宮島町
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

嚴島神社能樂臺の出口の邊より上れば、約一時閒半で絕頂に達する。弘法大師開創の山と傳へ、山容突元として須彌山に似たりとて、彌山と名付けたと云ふ。麓に大聖院本坊あり、眞言宗御室派に屬し、大同元年弘法大師の開創にかゝる所と云ひ、往昔は嚴島の總本坊、大明神の別當で、御室御所の脇門跡であつたが、今彌山諸堂を管して居る。石磴道を經て仁王門を潛りて上れば、山頂に近き途中に大聖院奧の院あり、求聞持堂と稱し、弘法大師の建立と傳ふる靈場で、本尊虛空藏菩薩を安置して居る。堂は近年燒失して後の建物で伊藤博文の筆に成る「能滿諸願大道場」の額が懸つて居る。開持以來の不消靈火がある。堂の向つて左方、小高き所に三鬼大權現あり、追帳鬼、摩羅鬼、時眉鬼の三鬼神を祀つて居る。更に上れば鐘樓あり、古鐘が懸つて居る。文字漫漶で讀み難く且破損して居るが左の銘文がある。

伊都岐嶋彌山 水精寺 奉施人 治承元年丁酉二月日 建立聖人永意 施主 右大將平宗盛

更に上れば絕頂で頂上石、見晴臺がある。下山は別路を取り約五十分を要する。途中滿干石、里見石その他あり、大日堂は彌山の本堂でもと神護寺と稱し、寶形造の小堂で大日如來及不動明王坐像を安置する。御山神社は朱塗の三社殿に、市杵島姬等三神を祀つて居る。また龍馬場一名駒ケ林は嚴島合戰に、弘中參河守隆包兄弟敗死の古戰場である。護摩谷の靈場址を經て大元谷に出づれば櫻谷公園、大元神社があり、宮島ホテルの傍に出る。

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