浄泰寺

淨泰寺

昭和初期のガイド文

[浄土宗] 唐津駅から西北に約800m、唐津市内新町に位置します。この寺は後陽成天皇の御代、天正15年(安土桃山時代、1587年)に真誉上人によって開山されました。唐津城初代城主である寺沢志摩守広高の冥福を祈るために建立されたものです。また、本能寺の変で織田信長を討った安田作兵衛(後に天野源右衛門と改名)は、旧友である広高のもとで客分として過ごし、死後この寺に葬られました。信長を討った際に使われた槍が寺宝として現在も保管されており、長い年月を経て錆びついた姿で見ることができます。

※底本:『日本案内記 九州篇(六版)』昭和13年(1938年)発行

令和に見に行くなら

名称
浄泰寺
かな
じょうたいじ
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
佐賀県唐津市弓鷹町1494
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

[淨土宗] 驛の西北八〇〇米弱、市內新町にある。後陽成天皇天正十五年眞譽上人開山、初代の城主寺澤志摩守廣高の冥福を祈つて建立したものである。本能寺の變に織田信長を刺した安田作兵衞は天野源右衞門と改名して舊友廣高の客分となり、歿後當寺に葬さられた。信長を刺した槍は今寺寶として存し、頗る錆びて居る。

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