近松寺

近松寺

昭和初期のガイド文

[臨済宗南禅寺派] 唐津駅の西北約600m、唐津市内西寺町に位置しています。後二条天皇の乾元元年(鎌倉時代、1302年)の創建と伝えられ、かつては舞鶴城内にありましたが、戦乱により焼失しました。その後、後陽成天皇の慶長4年(安土桃山時代、1599年)に寺澤広高が現在地に再建し、菩提寺としました。文政年間以降は藩主小笠原氏の菩提寺としても使用されました。庭園は慶長年間に作られたもので、作庭師として曾呂利新左衛門の名前が伝わっています。この庭園は、唐津城下や湾の風景を模したものと言われており、白砂を海に見立て、中央に満島山を表す山を配しています。左側には虹の松原、右端には西湾の海岸を象徴するデザインが施されているとされていますが、江戸時代中期の作庭と考えられています。寺の境内には、浄瑠璃作家として知られる近松門左衛門の墓があります。彼は幼少期にこの寺で得道し、亡くなった後に分骨がこの地に納められたと言われています。

※底本:『日本案内記 九州篇(六版)』昭和13年(1938年)発行

令和に見に行くなら

名称
近松寺
かな
きんしょうじ
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
佐賀県唐津市西寺町511
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

[臨濟宗南禪寺派] 驛の西北六〇〇米、市內西寺町にある。後二條天皇乾元元年の創建と傳へ、もと舞鶴城にあつたが、兵燹に罹り、後陽成天皇慶長四年寺澤廣高現在の地に再建して菩提寺とした。文政以來藩主小笠原氏の菩提寺である。庭園は慶長年間、曾呂利新左衞門作と傳へ、唐津城下灣頭の風光を縮寫したものと云ひ、海に擬して敷いた白砂の中央に突出する山は滿島山で、左方は虹松原を、右端は西灣海岸を何れも象つたものと稱せられるが、江戶時代中期の作庭であらう。木堂の傍に淨瑠璃作者として有名な近松門左衞門墓がある。彼は幼時この寺で得道し、歿後分骨したものと云ふ。

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