千葉・成田・銚子

ちば・なりた・ちょうし

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千葉・成田・銚子ガイド

総武本線の列車は両国橋駅を出発し、東に向かい市街高架橋で東京市の東部を走ります。この高架橋は延長1km、全国のこの種の線路のなかで最も古いもので、明治27年(1894年)の建設になります。橋上の錦糸町では千葉県方面からの到着貨物が多く見下ろせます。

郊外に出て亀戸に至れば東武鉄道の電車線が左に分かれます。本線は東北に転じ、工場地帯を過ぎ中川を渡り、平井に至ります。ここから荒川放水路の長橋(延長492m)にかかります。左窓には京成電車の鉄道、右窓には千葉街道の橋梁が見えます。橋を渡れば田園の間に出て新小岩を過ぎ、操車場を左に見て小岩に至ります。線路はここから次第に東南に向かい、左窓には遠く国府台の丘陵が見えます。左に近づく京成電車線を見て千葉街道を横ぎり江戸川の鉄橋(延長170m)にかかります。ここでは左窓外に街道と電車線の橋梁が並びます。橋を渡れば千葉県下総国に入り市川に着きます。駅に接して宝酒造の工場が見えます。市川の市街を左に見て、広い稲田および梨畑を右に眺めながら進めば、左には千葉街道に沿う村落が長く続き、やがて右にモスリン工場を見て下総中山に着きます。

下総中山を出ると左に船橋無線電信所の鉄塔(高さ200m)と、そこから四方に傘骨状に張った鉄線が、単調な耕地の間に目立ちます。やがて東に折れ街道と電車線を横ぎり船橋に着きます。

船橋を出て右に市街を見つつ進めば広い台地の上に出ます。その畑地には春は麦、秋は甘藷の栽培が行われます。東南に転じ街道を横ぎり津田沼を経て、左右に陸軍の営舎が見えます。有名な習志野原は左窓外に遠く連なり、乗馬隊の練兵場や宿舎があります。成田に通じる電車線を横ぎり、畑地の間を進めば幕張を過ぎ右に東京湾の海面が見えます。さらに進めば右の丘上に検見川送信所の鉄塔を望むことができます。そこから赤土の間の切り下げを経て、海水浴と潮干狩の客の下車する稲毛を過ぎ黒松の矮林を通り、東北に折れ製粉工場を見て千葉に着きます。

千葉から東北に向かい稲田の間を進み、台地に上り松林を見つつ北に折れ、一直線をなす東金街道を横ぎれば、間もなく東北に転じて四街道に着きます。このあたりは兵営が多いところです。ここから鹿島川の河谷に下り、稲田の間を進み東に折れて佐倉に至ります。

佐倉から東に進み、銚子に向かう総武本線から左に分かれ、東北に折れ丘陵の間を行けば酒酒井を経て京成、成田の二電車線を横ぎり成田に着きます。

成田から北進して左に我孫子行きの線路を見送り、しばらく三里塚に至る電車線と並走して後これと分かれ、稲田の間を過ぎ久住に至り、さらに進んでトンネルを抜け、稲田および丘陵を過ぎ、利根川沿岸の平野に出て街道を横ぎり滑河に至ります。ここから東に転じ、左窓外には広い平野の彼方に筑波山を望み、右は丘陵に沿い、郡大戸を過ぎ、大須賀川を渡り佐原に着きます。

佐倉から東に向かい、成田線を左に見て、東南に転じ丘陵の上に出て南酒酒井を過ぎ松林、桑畑、落花生畑の間を経て、八街に至れば新開の耕地が見えます。さらに進んで成東川の狭い河谷を下り日向を経て九十九里浜に続く平野に出て、成東に着きます。

成東から出て右から来る東金線を併せ、左に丘陵を背負う平野のなかを進み、東北に折れて松尾横芝を過ぎ栗山川を渡り八日市場に至ります。ここからその昔椿海の浅湖のあったところを過ぎ、広い平野の真ん中にある干潟を経て東に向かい、旭町に至ります。さらに飯岡を過ぎると平野は尽き、蛇園のトンネルを抜けて丘陵の上に出て猿田に着きます。そこから利根川の下流に沿う平野に下り、左に河水を望み松岸を経て銚子に着きます。

※底本:『日本案内記 関東篇(初版)』昭和5年(1930年)発行

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