八丈島

八丈島
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

東京の西南315kmに位置し、伊豆七島の最南端にあり、東西9.5km、南北16km。東山(三原山)と西山(富士山)の二火山に対峙し、その裾合の谷に平地があり、地味は一般にやせていて草木が繁茂し、海岸には八重根、神港、藍ヶ江、洞輪沢の4港があります。黒潮の影響で寒気を感じることが少なく降水量は多く、また風向きは冬は西風が多く、夏は南風が多いところです。人口3,300、農産には米、麦、甘藷、里芋があります。果樹には八丈オレンジや八丈文旦があります。林樹にはシイ、ハンノキ、ツバキ、サカキ、桜、タマクス、ヤブニッケイなどがあり、木炭の製造が行われています。水産にはカツオ、タコ、トビウオ、ムロアジ、アジ、サメ、イカ、イセエビ、テングサ、トコブシ、サイミ、ノリなどがあります。近年静岡、千葉の2県その他の石油発動機付きの漁船はカツオ漁のために寄るものが多くあります。またトビウオ漁のため3月から5月にかけて千葉県や大島から漁夫が来ます。トビウオは年額20万円以上に達します。これに次ぐのはムロアジ、アジで年額10万円ほどにおよびます。畜産には乳牛が多い。工産には八丈絹の製織が古来から行われ、染色に特徴あり耐久性に富むとして重宝されています。またツバキ油は濃度が濃いことを誇りとしています。このほか焼酎醸造、乳製品、トコブシ缶詰などがあります。東京霊岸島との間には毎月5回の定期汽船が往来し、約18時間で到達ができます。

島内には優婆夷宝明神社があり、本島創始の神とされる事代主命の妃を祀り、大賀郷村人里に鎮座し、本島および属島の総鎮守となっています。また同村和稲場に宇喜多秀家の墓と伝わるものがあります。秀家は関ヶ原の戦に敗れてここに配流せられた人です。

※底本:『日本案内記 関東篇(初版)』昭和5年(1930年)発行

令和に見に行くなら

名称
八丈島
かな
はちじょうじま
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
東京都八丈町
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

東京の西南一七〇海里に位し、伊豆七島の最南端にあり、東西九粁半、南北一六粁、東山(三原山)と西山(富士山)の二火山對峙し、その裾合谷に平地あり、地味一般に膏膄にして草木繁茂し、海岸には八重根、神港、藍ケ江、洞輪澤の四港あり、黑潮の影響により寒氣を感ずること少く降水量多く、また風向は冬は西風多く、夏は南風が多い。人口三千三百、農產には米、麥、甘藷、里芋あり。果樹には八丈オレンヂ及八丈文旦あり。林樹には椎、赤楊、椿、榊、櫻、玉樟、藪肉桂などあり、木炭の製造行はる。水產には鰹、鮹、飛魚、むろあぢ、鯵、鮫、柔魚、伊勢蝦、石花菜、とこぶし、さいみ、海苔などあり。近年靜岡、千葉の二縣その他の石油發動機付漁船は鰹漁のために來るものが多い。また飛魚を漁するために三月より五月までの閒千葉縣及大島から漁夫が來る。飛魚は年額二十萬圓以上に達する。これに次ぐはむろあぢ、鯵で年額十萬圓內外に及ぶ。畜產には乳牛が多い。工產には八丈絹の製織が古來行はれ、染色には一種の特徵あると耐久性に富めるにより珍重せられて居る。また椿油は濃度の大なるを誇とする。この他燒酎釀造、乳製品、とこぶし罐詰などがある。東京靈岸島との閒には每月五回の定期汽船往來し、約十八時閒にて到達が出來る。

島內には優婆夷寶明神社あり、本島創始の神と稱せられる事代主命の妃を祀り、大賀鄕村人里に鎭座し、本島及屬島の總鎭守となつて居る。また同村和稻場に宇喜多秀家の墓と傳ふるものがある。秀家は關ケ原の戰に敗れこゝに配流せられた人である。

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