伊豆大島

伊豆大島
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

相模湾外にある火山島で、東西8.5km、南北15km、周囲42km、面積936.401km²、島の大部分は三原山の活火山に覆われた平野が多いところです。三原山は海抜755mにおよび、複式の火山からなり、その外輪山は南、西、北の三面に完全な火口壁をもち、火口原には火山灰が堆積し、島民はこれを沙漠と呼んでいます。そのなかにはところどころ熔岩流もあり、細状熔岩も見られます。中央火口丘は熔岩とその破片の堆積からなり、頭部の平らな円錐形となっています。丘上に第二次の火口があり、その火口壁には黒色の熔岩と砂礫が互いに層をなし、断層を示すところもあります。この火口壁の東北部は三原山の最高点となります。火口内にはさらにそのほとんど全部を覆う第二次の火口丘があり、赤土色の熔岩からなり、中央に第三次の火口を開き、その火口から現在も盛んに水蒸気を噴出しています。三原山の外側には東部に外輪山を割って流出した熔岩流があって海に達しています。寄生火山には北に愛宕山、南に岳平山があり、南岸の波浮港も爆裂火口の一方が海に通じたものです。山側は一般に広葉樹に針葉樹の森林となっていて、ツバキ、大島桜、ヤシャ、杉、黒松などが多くあります、ツバキは冬から春にかけて紅い花を開き、秋には実が熟し、製油の原料として採られます。山麓の農村には乳牛の飼養が盛んに行われ、製油とバター製造は炭焼とともに陸上での主な産業となっています。近海ではムロアジ、サバ、トビウオなどの魚が多く採られます。全島の人口は1万あまり。

東京湾汽船会社の航路は東京霊岸島とこの島の間に開かれ、また熱海と伊東から元村への航路があります。

元村は島の西北部にあり、大島島庁の所在地で、製油とバター製造の中心となっていて、三原火山の登山口にあたります。ここに保元の乱後にこの島に流された源為朝の邸跡とされるものがあります。海岸には松林の間に大正年間に建てた源為朝の碑があります。

三原山に登るには元村から道を右に取り神達に至り、そこから東に向かって坂道にかかります。まず杉の木立の間を通りツバキの多い急斜面を辿れば、後ろや左の展望が次第に広くなり、元村から島の北端までが一目に見えます。椿茶屋を過ぎてからは、ヤシャその他の雑木が密生する間を通って、外輪山上三角点の右に出て、山頂を右に辿って御神火茶屋に達します。ここは両方の展望が広く、遠く伊豆半島の天城山から左に箱根、富士、大山などの山々を眺めることができます。一方東には火口原の砂漠を超えて、中央火口丘の屋根形にそびえるのが見えます。御神火茶屋から東に火山灰の急斜面を滑り下り、火口原の砂中に立てた指導標を辿って進めば、左に熔岩流が見え、中央火口丘の麓にある三島神社に達します。ここには大山祇神を祀ります。中央火口丘の外側は黒色の熔岩からなります。これを登れば第二次の火口の壁上に達します。ここからその火口内およびその内にさらに堆積した赤土色の熔岩と、第三次の火口を望み、盛んな噴煙を間近に見ることができます。火口壁上を一周しながら四方を見れば壮大な風景が楽しめます。伊豆半島から箱根、富士、丹沢、大山などの山々を西と北に見、東北には三浦、房総の二半島を望み、南には近く三角形の利島、その後方に重なる鵜の根島、右にある新島、神津島、左に遠く三宅島、御倉島が眺められます。元村から御神火茶屋まで6km、それから中央火口丘の火口壁まで4kmです。ここから南は波浮に、西南は差木地に、北は湯場に下ることができます。波浮へは10km、差木地へは8km、湯場へは2km。湯場は三原火山の北方中腹にある蒸気孔を利用して、経営している蒸気風呂です。湯場から元村へは4km、岡田へは5km。波浮は漁船の安全な錨地で、ここには濃厚な島の情趣があります。

大島節 わたしゃ大島御神火育ち胸に煙が絶えやせぬ つつじ椿は御山を照らす殿が御舟は灘照らす わたしゃ大島一重の桜八重に咲く気は更にない

※底本:『日本案内記 関東篇(初版)』昭和5年(1930年)発行

令和に見に行くなら

名称
伊豆大島
かな
いずおおしま
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
東京都大島町
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

相模灣外にある火山島で、東西八粁半、南北一五粁、周圍四二粁、面積九三六、四〇一方粁、島の大部分は三原山の活火山に掩はれた平野が多い。三原山は海拔七五五米に及び、複式の火山より成り、その外輪山は南、西、北の三面に完全なる火口壁を有し、火口原には火山灰堆積し、島民はこれを沙漠と稱する。その中には處々熔岩流の存するあり、その中より細狀熔岩を發見する。中央火口丘は熔岩及その破片の堆積より成り、截頭圓錐形を呈す。丘上に第二次の火口あり、その火口壁には黑色の熔岩及砂礫の互層著しく露はれ、これに斷層を示す處がある。この火口壁の東北部は三原山の最高點をなして居る。火口內には更にその殆ど全部を掩ふ第二次の火口丘があり、赭色の熔岩より成り、中央に第三次の火口を開き、その火口により現に盛に水蒸氣を噴出して居る。三原山の外側には東部に外輪山を破りて流出せる熔岩流があつて海に達して居る。寄生火山には北に愛宕山、南に嶽平山があり、南岸の波浮港も一爆裂火口の一方海に通じたものである。山側一般に濶葉樹及針葉樹の森林をなし、椿、大島櫻、やしや、杉、黑松などが多い、椿は冬季より春季にかけて紅花を開き、秋には實熟し、製油の原料として採られる。山麓の農村には乳牛の飼養盛に行はれ、製油とバタ製造は炭燒と共に陸上に於ける主なる產業となつて居る。近海にはむろあぢ、さば、とびうをなどの魚類を多く產する。全島の人口一萬餘。

東京灣汽船會社の航路は東京靈岸島とこの島の閒に開かれ、また熱海及伊東から元村への航路がある。

元村は島の西北部にあり、大島島廳の所在地で、製油及バタ製造の中心をなし、三原火山の登山口にあたる。こゝに保元の亂後にこの島に流された源爲朝の邸址と稱するものがある。海岸には松林の閒に大正年閒に建てた源爲朝の碑がある。

三原山に登るには元村から道を右に取り神達に至りそれより東に向つて坂道にかゝる。先づ杉の木立の閒を通り椿の多き急斜面を辿れば、後方及左方の展望次第に廣くなり、元村より島の北端までが一目に見える。椿茶屋を過ぎてよりは、やしやその他の雜木の密生する閒を通り、外輪山上三角點の右に出で、山頂を右に辿つて御神火茶屋に達する。こゝは兩方の展望極めて廣く、遠く伊豆半島の天城山より左方箱根、富士大山などの諸山を眺める。一方東には火口原の砂漠を超えて、中央火口丘の屋根形に聳ゆるを見る。御神火茶屋より東方に火山灰の急斜面を滑り下り、火口原の砂中に立てる指導標を辿つて進めば、左方に熔岩流を見、中央火口丘の麓にある三島神社に達する。こゝには大山祇神を祀る。中央火口丘の外側は黑色の熔岩より成る。これを登れば第二次の火口の壁上に達する。こゝよりその火口內及その內に更に堆積せる赭色の熔岩と、第三次の火口を望み、盛なる噴烟を閒近かに見ることが出來る。火口壁上を一周しつゝ四顧すれば壯大なる風景が樂しまれる。伊豆半島から箱根、富士、丹澤、大山などの諸山を西と北に見、東北には三浦、房總の二半島を望み、南には近く三角形の利島、その後方に重なる鵜の根島、右にある新島、神津島、左に遠き三宅島、御倉島が眺められる。元村から御神火茶屋まで六粁、それより中央火口丘の火口壁まで四粁である。これより南は波浮に、西南は差木地に、北は湯場に下ることが出來る。波浮へは一〇粁、差木地へは八粁、湯場へは二粁。湯場は三原火山の北方中腹にある蒸氣孔を利用して、經營せる蒸氣風呂である。湯場から元村へは四粁、岡田へは五粁。波浮は漁船の安全なる錨地で、島の情趣はこゝで濃厚である。

大島節 わたしや大島御神火育ち胸に煙が絕えやせぬ つゝじ椿は御山を照らす殿が御舟は灘照らす わたしや大島一重の櫻八重に咲く氣は更にない

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