宇野町

宇野町
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

宇野駅所在地。児島半島の東南岸にあって丘陵が多く、土地は東南に傾斜し、面積約15km²あります。港は東西北の3面に山を巡らし、前面には真島、葛島、荒神島等が羅列して防波堤となり、自然の良港をなしています。明治39年(1906年)8月築港に着手、4年の歳月と50万円に近い工費を投じて42年8月竣工となりました。翌年6月12日宇野線が全通し運輸を開始し、同時に宇野高松間の連絡航路を開き、本土、四国連絡の要地となり、大正10年(1921年)鉄道省は貨車航送の設備を行いました。昭和4年(1929年)宇野は開港に指定され、目下修築の工事中です。開港としての宇野は高辺岬から下烏島の西端および飛洲を経て蛸崎に引いた一線内で、輸入品は小麦、輸出品は小麦粉が第一位を占めます。移出入品の主なものを記すれば、貨車航送船による移入は製造煙草、繭および葉煙草、移出は葉煙草、製造煙草、その他の船舶による移入は石炭、食塩、移出は食塩、小麦、大豆粕です。この港から高松桟橋まで25km、連絡船は1日7回運航し、航海に1時間を要します。また本港から大連へ命令航路が開けています。人口は9,000人。

※底本:『日本案内記 中国・四国篇(初版)』昭和9年(1934年)発行

令和に見に行くなら

名称
宇野町
かな
うのちょう
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
備考
合併により玉野市となっています。
住所
岡山県玉野市
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

宇野驛所在地。兒島半島の東南岸にあつて丘陵多く、土地東南に傾斜し、面積約一五方粁を有する。港は東西北の三面に山を繞らし、前面には眞島、葛島、荒神島等が羅列して防波堤となり、自然の良港をなして居る。明治三十九年八月築港に着手、四ケ年の歲月と五十萬圓に近い工費を投じて四十二年八月竣工を吿げた。翌年六月十二日宇野線全通運輸を開始し、同時に宇野高松閒の連絡航路を開き、本土、四國連絡の要地となり、大正十年鐵道省は貨車航送の設備をなした。昭和四年宇野は開港に指定され、目下修築の工事中である。開港としての宇野は高邊岬より下烏島の西端及飛洲を經て蛸崎に引きたる一線內で、輸入品は小麥、輸出品は小麥粉が第一位を占める。移出入品の主なものを記すれば、貨車航送船に依る移入は製造煙草、繭及葉煙草、移出は葉煙草、製造煙草、その他の船舶に依る移入は石炭、食鹽、移出は食鹽、小麥、大豆粕である。當港から高松棧橋まで二五粁、連絡船は一日七回運航し、一航海に一時閒を要する。また本港から大連へ命令航路が開けて居る。人口九千。

児島・宇野のみどころ