行縢山

行縢山[指定名勝]
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

延岡市の西北約12km、東臼杵郡南方村にあり、日ノ影線行縢駅から近いところです。景行天皇の熊襲親征の時、山容の似ていることから行縢と名づけられたといいます。海抜831m、砂岩および粘板岩の互層を貫通する花崗斑岩からなり、双岳あって東西に連なり、東のものを雌岳あるいは東岳、西のものを雄岳または西岳といい、絶壁が相迫って凹字形をなしていることから矢筈岳の呼び名もあります。岩脈でこのように規模の大きなものはその比類がないと称されています。

東西両岳の間の凹んだところには瀑布がかかり、布引の滝といいます。高さ約109m、幅約20m、水量は華厳におよばず、高さは那智におよびませんが、絶壁の雄大なことははるかにこの両者を凌ぎ、壮麗な偉観を呈しています。瀑の下には瀑壺がなく、方形の巨岩が千畳敷の様子を見せ、崖とわずかに1m隔てた一道の岩罅に渓流のくぼみをなすのみです。流れの左側のやや低いところに、山脚の柱状節理を現す露頭があり、以下は密林に覆われ、杉、ツガ、アカマツ、クロマツ、モミなどの針葉樹や広葉樹が混ざっています。山麓に近い行縢神社は養老年間の創建と伝え、付近に大日寺の跡、為朝腰掛岩、秘密窟等があります。

※底本:『日本案内記 九州篇(六版)』昭和13年(1938年)発行

令和に見に行くなら

名称
行縢山
かな
むかばきやま
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
宮崎県延岡市行縢町
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

延岡市の西北約一二粁、東臼杵郡南方村にあり、日ノ影線行縢驛から近い。景行天皇熊襲親征の時、山容の似たるによつて行縢と名づけ給うたと云ふ。海拔八三一米、砂岩及粘板岩の互層を貫通する花崗斑岩より成り、雙嶽ありて東西に連り、東のを雌嶽或は東嶽、西のを雄嶽または西嶽と云ひ、絕壁相迫つて凹字形をなすから矢筈嶽の稱もある。岩脈にしてかくの如く規模の大なるものはその比類がないと稱されて居る。

東西兩嶽の閒に於ける凹處には瀑布が懸り、布引の瀧と云ふ。高さ約一〇九米、幅約二〇米、水量は華嚴に如かず、高さは那智に及ばないが、絕壁の雄大なることは遙にこの兩者を凌ぎ、壯麗偉觀を呈して居る。瀑の下には瀑壺なく、方形の巨岩千疊敷の狀を呈し、崖と僅に一米距てたる一道の岩罅に溪流の凹處を成すのみである。流の左方稍々低きところに、山脚の柱狀節理を現せる露頭があり、以下は密林に蔽はれ、杉、栂、赤松、黑松、樅などの針葉樹や濶葉樹が參錯して居る。山麓に近い行縢神社は養老年閒の創建と傳へ、附近に大日寺の址、爲朝腰掛岩、祕密窟等がある。

延岡のみどころ