延岡城跡
延岡城址
昭和初期のガイド文
延岡駅の西南2km、高橋元種の築営で、江戸時代前期の慶長8年(1603年)竣成、有馬氏、牧野氏を経て、延享4年(1747年)内藤政樹が奥州磐城平から移封して、維新に至りました。最初県城と称したのを明暦年間(1655~1658年)有馬康純の時に延岡城と改めたといい、亀井城とも称されました。本丸、二の丸、三の丸跡の石塁が遺存します。現在、城山公園となり、山上には桜の樹が多く植えられています。城主の居館跡であった西の丸跡には旧藩主内藤氏邸があり、その後方に県社亀井神社があります。
※底本:『日本案内記 九州篇(六版)』昭和13年(1938年)発行
令和に見に行くなら
- 名称
- 延岡城跡
- かな
- のべおかじょうせき
- 種別
- 見所・観光
- 状態
- 現存し見学できる
- 住所
- 宮崎県延岡市東本小路
- 参照
- 参考サイト(外部リンク)
日本案内記原文
延岡驛の西南二粁、高橋元種の築營で、慶長八年竣成、有馬氏、牧野氏を經て、延享四年內藤政樹奧州磐城平から移封して、維新に至つた。最初縣城と稱したのを明曆年閒有馬康純の時延岡城と改めたと云ひ、龜井城とも稱せられた。本丸、二の丸、三の丸址の石壘が遺存する。今、城山公園となり、山上には櫻樹が多く植ゑられて居る。城主の居館址であつた西の丸址には舊藩主內藤氏邸あり、その後方に縣社龜井神社がある。