神威岩

神威巖
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

積丹半島の突端、神威岬の西北端に海中に突き立っている立岩で高さ約41mあります。古来西蝦夷地の関門でこの岩から北を神地として女性の通行が禁じられていて、妻子を伴った移民はここから北に進入する事ができませんでした。俗謡「忍路高島およびもないが……」や、「未練あるのか御神威様よ、なぜに女の足とめる」はこの哀愁を歌ったものです。江戸時代末期の安政2年(1855年)蝦夷地が再び幕府領となると、箱館奉行はこの慣習を無視した移民奨励の達書を出し、同3年(1856年)奉行下役元締めの梨本弥五郎宗谷が赴任の際に妻子を伴い、この岬を通過してから禁制が自然と解かれたもので、一種の神秘的な意義をもった巌です。

※底本:『日本案内記 北海道篇(五版)』昭和11年(1936年)発行
神威岬

令和に見に行くなら

名称
神威岩
かな
かむいいわ
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
北海道積丹郡積丹町神岬町
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

積丹半島の突端、神威岬の西北端に海中に突立する立岩で高さ約四一米ある。古來西蝦夷地の關門でこの岩より以北を神地となし婦女の通行を許さず妻子を伴つた移民はこれより北に進入する事が出來なかつた。俗謠「忍路高島及びもないが……」や、「未練あるのか御神威樣よ、なぜに女の足とめる」はこの哀愁を歌つたものである。安政二年蝦夷地再び幕府領となるや、箱館奉行この慣習を無視した移民奬勵の達書を出し、同三年奉行下役元〆梨本彌五郞宗谷に赴任の際に妻子を伴ひ、この岬を通過してから禁制自づと解かれたもので、一種の神祕的な意義を有した巖である。

積丹半島のみどころ