岩内町

岩內町
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

岩内駅所在地。岩内はイワウォナイ(硫黄山の谷の意)から出たといいますが、異説もあります。町の東南にある岩雄登(硫黄山)からは、その名のとおり硫黄を産します。日本海に沿い、東西約3km、南北1kmあまり、面積は約5km²です。江戸時代後期の宝暦年間(1751~1764年)から北海道有数の漁場で明治33年(1900年)目治体となった後、漁港を修築しようとの議論が高まり、明治40年(1907年)その工事に着手され、近頃は7~8,000トン級の汽船の出入が頻繁にあります。生産年額は昭和8年(1933年)で約330万円で、水産が最も多く、タラ、ニシンの漁獲、加工が盛んに行われています。アスパラガスの缶詰が特産です。町内に区裁判所、築港事務所、高等女学校等を置いています。含翠園、抱巒荘は梅沢氏の所有で、一般に公開しています。人口1万5,000人。

※底本:『日本案内記 北海道篇(五版)』昭和11年(1936年)発行

令和に見に行くなら

名称
岩内町
かな
いわないちょう
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
北海道岩内郡岩内町
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

岩內驛所在地。岩內はイワウォナイ(硫黃山の谷の意)から出たと云ふが、異說もある。町の東南にある岩雄登(硫黃山)からは、現に硫黃を產する。日本海に沿ひ、東西約三粁、南北一粁餘、面積は約五方粁である。寶曆年閒から全道有數の漁場で明治三十三年目治體となつた後、漁港修築の議熟し、明治四十年その工事に着手され、近時七八千噸級汽船の出入が頻繁である。生產年額は昭和八年に約三百三十萬圓で、水產最も多く、鱈、鰊の漁獲、加工が盛に行はれる。アスパラガスの罐詰は特產である。町內に區裁判所、築港事務所、高等女學校等を置いてある。含翠園、抱巒莊は梅澤氏の所有で、一般に公開して居る。人口一萬五千。

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