茅沼炭鉱

茅沼炭礦
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

岩内駅の北約10km、泊村字茅沼にあり自動車の便があります。遠く江戸時代末期の安政年間(1854~1860年)から幕府によって採掘され、現在は茅沼炭礦会社の経営となっています。

埋蔵量7,000万トン、採掘年額12万トン、岩内港まで10.3kmの安全索道によって1日5万トンの運炭設備があります。この炭鉱の坑口から海岸に至る2.4kmの鉄道は、専用線ですが、日本で始めて敷設された鉄道です。文久2年(1862年)江戸幕府はこの炭鉱の探掘に着手し、慶応3年(1867年)イギリス人を雇い入れて運炭用の鉄道を敷設し、蒸気機関車をもって4トン貨車を運転しました。実に新橋~横浜間の鉄道敷設に先立つこと約6年です。

※底本:『日本案内記 北海道篇(五版)』昭和11年(1936年)発行

令和に見に行くなら

名称
茅沼炭鉱
かな
かやぬまたんこう
種別
見所・観光
状態
現存しない
備考
昭和39年(1964年)閉山となりました。

日本案内記原文

岩內驛の北約一〇粁、泊村字茅沼にあり自動車の便がある。遠く安政年閒から幕府の手で採掘され、今は茅沼炭礦會社の經營となつて居る。

埋藏量七千萬噸、採掘年額十二萬噸、岩內港まで一○粁三分の安全索道によつて一日五萬噸の運炭設備がある。この炭礦の坑口から海岸に至る二粁四分の鐵道は、專用線であるが、我が國で始めて敷設された鐵道である。文久二年江戶幕府はこの炭礦の探掘に著手し、慶應三年英人を傭入れて運炭用の鐵道を敷設し、蒸氣機關車を以て四噸貨車を運轉した。實に新橋橫濱閒鐵道敷設に先つこと約六年である。

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