天保山跡

天保山遺蹟
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

市電天保山桟橋下車、一条通安治川の海口南岸頭にある小芝山です。江戸時代前期の貞享元年(1684年)安治川を切り開いた際、また文政・天保年中にそれぞれ川底をさらった際に出た土砂を積んで丘陵としたもので、目標山と呼ばれ、高さ18m、周囲180m以上、裾地の周回1,800m以上におよび、一時高灯籠、砲台を設けてありました。現在裾地は糧秣廠支廠内に取込まれています。明治元年(1868年)3月に明治天皇の御臨幸のもと日本最初の観艦式が行われ、また同31年(1898年)ここで大阪築港起工式が行われました。丘陵の大部分は築港の際に撤去されましたが、なお小部分を残していて、「明治天皇観艦之所」と記した記念碑が建っています。

※底本:『日本案内記 近畿篇 下(初版)』昭和8年(1933年)発行

令和に見に行くなら

名称
天保山跡
かな
てんぽうざんあと
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
大阪府大阪市港区築港3-2
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

市電天保山棧橋下車、一條通安治川海口南岸頭にある小芝山である。貞享元年安治川開鑿の時と、文政、天保の二回同川を浚渫した時との土砂を積んで丘陵としたもので、一に目標山に呼ばれ、高さ一八米、周圍一八〇米以上、裾地の周回一、八〇〇米以上に及び、高燈籠、砲臺を設けてあつたことがある。今裾地は糧秣廠支廠內に取込まれて居る。明治元年三月明治天皇御臨幸あり、我が國最初の觀艦式が奉行せられ、また同三十一年こゝで大阪築港起工式が行はれた。丘陵の大部分は築港の際撤去されたが、尙小部分を存し、「明治天皇觀艦之所」と記した記念碑が建つて居る。

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