新町演舞場

新町演舞場
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

市電新町橋下車、新町南通二丁目にあります。新町廓の年中行事の浪花踊は毎年4月ここで催されます。

浪花踊は明治41年(1908年)4月に元禄・享保頃の大会踊を宝暦・天明の頃から廓内に舞台を構えて興行した例にちなんで始めたもので、非常に大胆で斬新な舞踊、音曲、衣裳を選び、新時代らしい興行によって観衆を集めています。

新町は遠く元和・寛永年間に散在していた遊所をこの地に集め、アシが繁るような野原だった場所を町としたので新町と呼ばれました。以来いくらか変遷はありましたが市中随一の遊里として賑わっています。

※底本:『日本案内記 近畿篇 下(初版)』昭和8年(1933年)発行

令和に見に行くなら

名称
新町演舞場
かな
しんまちえんぶじょう
種別
レジャー
状態
現存しない
備考
昭和20年(1945年)の大阪大空襲で焼失しました。

日本案内記原文

市電新町橋下車、新町南通二丁目にある。新町廓の年中行事の浪花踊は每年四月こゝで催される。

浪花踊は明治四十一年四月に元祿、享保頃の大會踊を寶曆、天明の頃から廓內に舞臺を構へて興行した吉例に因んで始めたもので、頗る大膽に斬新な舞踊、音曲、衣裳を選び、新時代に卽する興行によつて觀衆を集めて居る。

新町は遠く元和寬永年閒に散在して居た遊所をこの地に集め、芦葦繁れる野原を町としたので新町と呼ばれた、以來幾多の變遷はあつたが市中隨一の傾城町として賑つて居る。

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