太融寺
太融寺[眞言宗]
昭和初期のガイド文
市電太融寺町下車、北野太融寺町にあります。元桂木寺といい、弘法大師の草創と伝え、平安時代の承和年中(834~848年)に仁海上人が堂宇を造営し寺号を改めたといいます。往時は規模広大でしたが、たびたび兵乱に遭って荒廃し、後に快済上人が再興したものです。本堂、大師堂、観音堂、護摩堂、愛染堂、釈迦堂等があります。境内に淀君の墓がありますが、明治初年鴫野にあった墓をここへ改葬したものです。
※底本:『日本案内記 近畿篇 下(初版)』昭和8年(1933年)発行
令和に見に行くなら
- 名称
- 太融寺
- かな
- たいゆうじ
- 種別
- 見所・観光
- 状態
- 状態違うが見学可
- 備考
- 昭和20年(1945年)の大阪大空襲で堂宇を全焼、現在のものは戦後の再建です。
- 住所
- 大阪府大阪市北区太融寺町3-7
- 参照
- 参考サイト(外部リンク)
日本案内記原文
市電太融寺町下車、北野太融寺町にある。元桂木寺と云ひ、弘法大師の草創と傳え、承和年中仁海上人堂宇を造營し寺號を改めたと云ふ。往時は規模廣大であつたが、度々兵亂に遭つて荒廢し、後快濟上人によつて再興したものである。本堂、大師堂、觀音堂、護摩堂、愛染堂、釋迦堂等がある。境內に淀君の墓があるが、明治初年鴫野にあつた墓をこゝへ改葬したものである。