大阪帝国大学
大阪帝國大學
昭和初期のガイド文
市電田蓑橋下車。昭和6年(1931年)5月に元府立大阪医科大学を移管して帝国大学としたもので、医学部と理学部からなり、理学部はまだ開講されていません。医学部の沿革は古く明治2年(1869年)今の東区上本町大福寺内に文部省直轄の病院が設けられたのがはじまりで、明治6年(1873年)大阪府に移管、従来の医学所を教授局としました。明治13年(1880年)教授局を府立大阪医学校と改称、同36年(1903年)さらに大阪府立高等医学校に改め、大正4年(1915年)府立大阪医科大学となりました。
※底本:『日本案内記 近畿篇 下(初版)』昭和8年(1933年)発行
令和に見に行くなら
- 名称
- 大阪帝国大学
- かな
- おおさかていこくだいがく
- 種別
- 見所・観光
- 状態
- 状態違うが見学可
- 備考
- 現在の大阪大学です。当時中之島にあった大学は、主なキャンパスとしては吹田等へ移転していますが、当時の場所には大阪大学中之島センターがあります。
- 住所
- 大阪府大阪市北区中之島4-3-53
- 参照
- 参考サイト(外部リンク)
日本案内記原文
市電田蓑橋下車。昭和六年五月元府立大阪醫科大學を移管して帝國大學としたもので、醫學部及理學部から成り、理學部は未だ開講されて居ない。醫學部の沿革は古く明治二年今の東區上本町大福寺內に文部省直轄病院が設けられたのが濫觴で明治六年大阪府に移管、從來の醫學所を敎授局とした。明治十三年敎授局を府立大阪醫學校と改稱、同三十六年更に大阪府立高等醫學校に改め、大正四年府立大阪醫科大學となつた。