大阪朝日新聞社

大阪朝日新聞社

昭和初期のガイド文

市電渡辺橋下車、中之島三丁目にあります。明治12年(1879年)創業、総務、編集、印刷、営業の四局を設けています。印刷機は21台、1時間200万枚の印刷能力をもち、朝刊12ページは1日に8版夕刊4頁は3版におよび、それとは別に多くの地方版があって各版総数56種に達します。東京と大阪間には直通電話、写真電送を設備し、通信補助機関として伝書鳩を利用しています。新聞以外に文化事業、社会事業を行い、その主催となる甲子園における全国中等学校野球大会は有名です。

※底本:『日本案内記 近畿篇 下(初版)』昭和8年(1933年)発行

令和に見に行くなら

名称
大阪朝日新聞社
かな
おおさかあさひしんぶんしゃ
種別
見所・観光
状態
現存しない
備考
現在の朝日新聞大阪本社は中之島2丁目の中之島フェスティバルタワーに入っていますが、当時の社屋はタワーウエストの位置、中之島3丁目にありました。

日本案内記原文

市電渡邊橋下車、中之島三丁目にあり。明治十二年創業、總務、編輯、印刷、營業の四局を設けて居る。印刷機は二十一臺、一時閒二百萬枚の印刷能力を有し、朝刊十二頁は一日に八版夕刊四頁は三版に及び、別に幾多の地方版があつて各版總數五十六種に達する。東京大阪閒には直通電話、寫眞電送を設備し、通信補助機關として傳書鳩を利用して居る。新聞以外に文化事業、社會事業を行ひ、その主催に成る甲子園に於ける全國中等學校野球大會は有名である。

キタ・中之島のみどころ