鹿島神宮

鹿島神宮[官幣大社]
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

佐原駅の東南約20km、茨城県鹿島町にあります。大船津まで汽船およびモーターボートの便があり、大船津からは自動車の便があります。境内は広大で樹木が繁茂し、古松老杉の巨木を交え、神々しい林相美に富んでいます。古来香取神宮と並び称された日本でも有名な神社で、延喜式には名神大社として登載され、祭神は武甕槌命で、経津主命と天児屋根命を配祀しています。古来朝廷の崇敬厚く、藤原氏は氏神と称して、立后、任大臣などあるごとに神宝幣帛を奉り、鎌倉将軍も武神と崇めて深く尊信するところがありました。現在の本殿、幣殿および拝殿は江戸時代前期の元和5年(1619年)徳川秀忠の再建で、国宝に指定されています。本殿は三間三面流造、杮葺、桝組は和様三斗を用い、棰、腰組などは朱塗で、桝組、蟇股、頭貫、上長押などに彩色が残っています。拝殿は五間三面入母屋造杮葺で、蟇股などに古い彫刻が残っています。本殿の東に奥宮があります。三間社流造杮葺で、腰高く正面に浜床および向拝があり、国宝に指定されています。慶長9年(1604年)徳川家康の建立となり武甕槌命の荒魂を祀ります。奥宮の後方には要石と呼ばれるものがあります。地上に露出した部分は直径21cm、中央に窪みがあります。地中の大鯰の頭を押さえて地震を鎮圧していると伝え、周囲には木棚がめぐらされています。奥宮の前の坂を下ったところに御手洗池があります。清水がこんこんと湧出しています。

例祭は毎年9月1日、5月30日に執行される御田植の神事は大いに賑わいます。宝物のなかで国宝に指定された帥霊剣は内陣に納められ、その他のものは宝物室に陳列して一般に観覧できるようになっています。

※底本:『日本案内記 関東篇(初版)』昭和5年(1930年)発行
鹿島神宮

令和に見に行くなら

名称
鹿島神宮
かな
かしまじんぐう
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
茨城県鹿嶋市宮中2306-1
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

驛の東南約二〇粁、茨城縣鹿島町にある。大船津まで汽船及モーターボートの便があり、大船津よりは自動車の便がある。境內廣大にして樹木繁茂し、古松老杉の巨木を交へ、神々しい林相美に富んで居る。古來香取神宮と竝び稱せられたわが國著名の神社で、延喜式には名神大社として登載され、祭神は武甕槌命で、經津主命と天兒屋根命を配祀して居る。古來朝廷の崇敬厚く、藤原氏は氏神と稱して、立后、任大臣などある每に、神寶幣帛を奉り、鐮倉將軍の如きも武神と崇めて、深く尊信する所があつた。今の本殿、幣殿及拜殿は元和五年德川秀忠の再建で、國寶に指定されて居る。本殿は三閒三面流造、杮葺、桝組は和樣三斗を用ゐ、棰、腰組などは朱塗で、桝組、蟇股、頭貫、上長押などに彩色が殘つて居る。拜殿は五閒三面入母屋造杮葺で、蟇股などに古い彫刻が殘つて居る。本殿の東方に奧宮がある。三閒社流造杮葺で、腰高く正面に濱床及向拜があり、國寶に指定されて居る。慶長九年德川家康の建立にかゝり武甕槌命の荒魂を祀る。奧宮の後方には要石と稱するものがある。地上に露出せる部分は徑二一糎(七寸)中央に窪みがある。地中の大鯰の頭を押へて地震を鎭壓して居ると傳へ、周圍には木棚がめぐらされて居る。奧宮の前の坂を下つた所に御手洗池がある。淸水が滾々として湧出して居る。

例祭は每年九月一日、五月三十日に執行される御田植の神事は大に賑ふ。寶物中國寶に指定された帥靈劍は內陣に納められ、その他のものは寶物室に陳列して一般に觀覽を許して居る。

香取・鹿島のみどころ