伏見城

桃山城址
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

桃山駅の東北1.5km、桃山陵の北裏一帯の地で、安土桃山時代の文禄3年(1594年)秀吉の築城になり、もと伏見城と呼び、北は大亀谷、南は宇治川向島におよび、東は木幡山に至る大規模な城でしたが、江戸時代前期の元和6年(1620年)城郭は取り壊され、その旧材はあちこちに移されました。現在の西本願寺の玄関、書院、唐門、豊国神社唐門その他の京洛の各所にその遺構を残し、雄大絢爛であった当時を偲ぶことができます。城址は現在山林、畑となりかつ、桃山陵がその南縁に造られましたが、そのほかの地には濠跡および曲輪の土塁を残し、畑からは金箔を押した豪華な菊桐紋の瓦が発見されたことがあります。

※底本:『日本案内記 近畿篇 上(初版)』昭和7年(1932年)発行

令和に見に行くなら

名称
伏見城
かな
ふしみじょう
種別
見所・観光
状態
状態違うが見学可
備考
当時は天守はありませんでした。昭和39年(1964年)この地に造られた遊園地「伏見桃山城キャッスルランド」が造ったものが現在の模造天守です。
住所
京都府京都市伏見区桃山町大蔵
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

桃山驛の東北一粁半、桃山御陵の北裏一帶の地で、文祿三年秀吉の築城にかゝり、もと伏見城と呼び、北は大龜谷、南は宇治川向島に及び、東は木幡山に至る大規模な城であつたが、元和六年城郭は取毀たれ、その舊材は諸處に移された。現に西本願寺の玄關、書院、唐門、豐國神社唐門その他の京洛の各所にその遺構を存し、雄大絢爛なりし當時を偲ぶことが出來る。城址は今山林、畑となり且、桃山御陵その南緣に營まれたが、その餘の地には濠址及び諸曲輪の土壘を存し、畑中からは金箔を押した豪華な菊桐紋の瓦を發見する事がある。

伏見・桃山のみどころ