鳥羽天皇安樂壽院陵
鳥羽天皇安樂壽院御陵
昭和初期のガイド文
もと三重の宝塔で鳥羽上皇の御生前に造らせたところでした。塔下に石槨を設けて山陵に擬し、崩御後御遺骨を納め奉りましたが、塔は永仁、天文両度の安樂壽院の火災で炎上し、江戸時代前期の慶長17年(1612年)塔基に仮堂を建設し、さらに江戸時代末期の元治元年(1864年)北に移され霊屋が造られました。天皇は堀河天皇の皇子で平安時代の嘉祥2年(849年)御即位、御在位16年で保安4年(1123年)御位を崇徳天皇に譲られましたが、白河法皇崩御の後はまた法皇にならって院政を執られ、保元元年(1156年)、54歳をもって崩御されました。
※底本:『日本案内記 近畿篇 上(初版)』昭和7年(1932年)発行
令和に見に行くなら
- 名称
- 鳥羽天皇安樂壽院陵
- かな
- とばてんのうあんらくじゅいんのみささぎ
- 種別
- 見所・観光
- 状態
- 現存し見学できる
- 住所
- 京都府京都市伏見区竹田浄菩提院町
- 参照
- 参考サイト(外部リンク)
日本案内記原文
もと三重の寶塔で鳥羽上皇御生前に造らせ給ふ所であつた。塔下に石槨を設けて山陵に擬し、崩御後御遺骨を納め奉つたが、塔は永仁、天文兩度の安樂壽院の火災に炎上し、慶長十七年塔基に假堂を建設し、更に元治元年北方に移され靈屋を營んだ。天皇は堀河天皇の皇子で嘉祥二年御踐祚、御在位十六年で保安四年御位を崇德天皇に讓られたが、白河法皇崩御の後はまた法皇に倣つて院政を執らせ給ひ、保元元年、御壽五十四を以て崩ぜられた。