東福寺

東福寺[臨濟宗東福寺派大本山]
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

京阪および市営電車東福寺下車、東山の山麓、景勝の地に広大な境内を占め、伏見街道に面して北門および南総門があります。

この寺は鎌倉時代の延応元年(1239年)前関白九条道家の創建になるもので、聖一国師を招いて開山とし、殿内に釈迦、観音、弥陀の巨像を安置し、建長7年(1255年)6月落慶供養を行いました。以来禅宗の大道場として京都五山のひとつとされ、代々武家の擁護を得て明治に至り今日におよび、京都で最も著名な仏寺のひとつです。明治14年(1881年)仏殿、法堂および方丈を焼失し、現在再建の途中にありますが、三門、東司、選仏堂の大建築および月下門の古建築は焼失を免れ、今なお遺存しています。

三門[国宝] 南総門を入ると思遠池の北に高くそびえ立つ五間三戸の楼門です。両端に山廊があり、規模壮大、バランスのよく整った建築で、禅宗寺院三門のなかで最古のものです。その様式は唐様ですが桝組に挿肘木を用いて天竺様を混じ軒にも扇棰を用いるのではなく普通の二重棰を用い、禅刹手法の常套を脱して全体の調和を得ています。しかし上層の勾欄は禅宗建築に固有の逆蓮頭、握蓮等の手法を用いています。上層の内部は中央を鏡天井、その周囲を化粧屋根裏としています。桝組には繧繝彩色を施し、柱、虹梁、長押などには浪に竜、もしくは飛竜の彩画を施して華麗を極め、元末明初における禅宗建築装飾の特徴を現しています。後壁に接して壇があり、その中央には実冠を戴ける華厳の釈迦像を安置し、左右に十六羅漢の木像を安置しています。上層正面妙雲閣の額は足利義持の筆で、内部の装飾も応永頃の手法を残し、建築もまた室町時代の様式に属しています。

禅堂(選仏堂)[国宝] 再建中の本堂の西側にあります。桁行、梁間六間、重層、屋根切妻造本瓦葺の大建築で貞和2年(1346年)の再建です。建築の様式は唐様に属し、上層屋根の前面中央部は前方に向かってその一部を突出しあたかも向拝のような形式を現し、正面の入口を作っています。下層前面には唐戸および火灯窓を付け、軒下は立涌形の明り窓を作っています。内部は化粧屋根裏を現し、床はすべて土間で瓦敷とし、中央に白木造の須弥壇を設け、釈迦の立像を安置しています。ここは多数の僧侶が禅道の修業をするところで、柱にかかっている連には「闔山一千七百余員清衆」などの句があります。

東司[国宝] 禅堂の南隣にあり、禅堂内で修業の僧侶が使用した室町時代における禅宗式の便所です。七間四面、単層、屋根切妻造、本瓦葺の建築で、外面には格子窓を付け、禅堂に面せる妻部の一面に入口を設け、内部は土間で左右両側面に厠を作っています。禅宗式便所の古き形式を見るべき貴重な遺構です。

浴室[国宝] 三門の東南にあり、桁行三間、梁間四間単層屋根は切妻造本瓦葺の建築で、しばしば修繕を加えられていますが、なお室町末期の様式を伝え、禅宗寺院の浴室として多くの古式を残していることはまれに見るところです。

通天橋 禅堂から経蔵の前を経て開山堂に至る途中洗玉澗と呼ばれる渓流に架された木橋です。両岸にカエデが多く紅葉の名所として名高いところです。この橋は普明国師が開山堂に往来しやすいようにと設けたものであるといいます。この橋の下流にまた一橋あり、臥雲橋といっています。

開山堂 通天橋の北端から直ちに丘陵を登って達します。開山聖一国師の木像を安置しています。

普門院 開山堂門内の西側にあり、開山国師の常住した方丈と伝え、他所からここへ移建されたものといいます。建築の様式は寝殿造に属し、内部は三室に分かれ各室の仕切に建てられた襖には、金地に極彩色の貼付絵があります。桃山時代の様式を伝えた華麗な装飾画をもって充たされています。

月華門[国宝] 開山堂の前を西へ下るとこの門に達します。鎌倉時代の文永年間(1264~1275年)亀山天皇の御所の月華門を賜ったものと伝え、現在普門院の総門として西面して建っています。屋根は切妻造、朱塗の四脚門です。小建築ですが、蟇股その他の細部に雄健な手法を残す鎌倉時代の建築です。

  • 宝物
  • 無準師師範像[国宝] 一幅 絹本著色、無準は東福寺の開山聖一国師が入宋の際師事した中国五山の随一である杭州の経山万寿寺の名僧で、上に喜熙2年の自賛があります。図は南宋写実派の特色を現し、面貌法衣等の描線に、淡き陰影を施し、色調は平明淡泊、南宋禅林の趣味によって製作された禅林名僧の朗らかな面影を描写した優秀な作品です。
  • 聖一国師像[国宝] 一幅 紙本著色、明兆筆、筆致非常に謹厳、線の打込み強く、力ある運筆によって輪廓を組み上げ、明快な彩色を施しています。筆者明兆は東福寺の殿司を勤めた画僧で、この寺にはこの他多くの遺作を伝えていますが、この像は彼が特に妙技を振るったもので、宋元の画風を学んで一生面を開いた彼の特色を発揮しています。
  • 四十祖像[国宝] 四十幅 紙本著色、明兆筆、達磨大師から天柱具禅師に至る臨済宗の四十祖師の半身像を描いたものです。
  • 涅槃像 一幅 絹本著色、明光筆、涅槃像のなかで最も大きな巨幅にして明兆57歳の作です。毎年3月15日の涅槃会の前後3日間禅堂にかけて一般の礼拝を許しています。
  • 五百羅漢図[国宝] 四十五幅 絹本著色、明兆筆、中二十幅 京都博物館出陳
  • 達磨蝦蟇鉄拐像[国宝] 紙本淡彩 明兆筆 三幅
  • 中国禅刹図式[国宝] 紙本墨書 伝大宋諸山図 一巻
  • 参天台五台山記[国宝] 五冊 紙本墨書、巻第五に承安元年(1171年)8月書写の奥書があります。
  • 次の宝物は京都博物館出陳
  • 釈迦三尊像[国宝] 絹本著色 三幅
  • 東福寺伽藍図[国宝] 紙本淡彩 伝雪舟筆 一幅
  • 聖一国師度牒[国宝] 紙本墨書 二幅
  • 聖一国師戒牒[国宝] 紙本墨書 二幅
  • 無準行状記[国宝] 紙本墨書 五幅
  • 次の一点は東京帝室博物館出陳
  • 維摩居士像[国宝] 紙本墨画 一幅
※底本:『日本案内記 近畿篇 上(初版)』昭和7年(1932年)発行
東福寺三門 東福寺三門内部

令和に見に行くなら

名称
東福寺
かな
とうふくじ
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
京都府京都市東山区本町15-778
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

京阪及市營電車東福寺下車、東山の山麓、勝景の地に廣大な境內を占め、伏見街道に面して北門及南總門がある。

當寺は延應元年前關白九條道家の創建にかゝり、聖一國師を請じて開山となし、殿內に釋迦、觀音、彌陀の巨像を安置し、建長七年六月落慶供養を行つた。爾來禪宗の大道場として京都五山の一に居り、代々武家の擁護を得て明治に至り今日に及び、京都に於ける最も著名な佛寺の一である。明治十四年佛殿、法堂及方丈を燒失し、現に再建の途中にあるが、三門、東司、選佛堂の大建築及月下門の古建築は燒失を免がれ、今尙遺存して居る。

三門[國寶] 南總門を入ると思遠池の北に高く聳え立つ五閒三戶の樓門である。兩端に山廊があり、規模壯大權衡のよく整つた建築で、禪宗寺院三門中最古のものである。その樣式は唐樣であるが桝組に插肘木を用ゐて天竺樣を混じ軒にも扇棰を用ゐずして普通の二重棰を用ゐ、禪刹手法の常套を脫しつて全體の調和を得て居る。しかし上層の勾欄は禪宗建築に固有なる逆蓮頭、握蓮等の手法を用ゐて居る。上層の內部は中央を鏡天井、その周圍を化粧屋根裏となつて居る。桝組には繧繝彩色を施し、柱、虹梁、長押などには浪に龍、若しくは飛龍の彩畫を施して華麗を極め、元末明初に於ける禪宗建築裝飾の特徵を現はして居る。後壁に接して壇があり、その中央には實冠を戴ける華嚴の釋迦像を安置し、左右に十六羅漢の木像を安置して居る。上層正面妙雲閣の額は足利義持の筆であり、內部の裝飾も應永頃の手法を存し、建築もまた室町時代の樣式に屬して居る。

禪堂(選佛堂)[國寶] 再建中の本堂の西側にある。桁行、梁閒六閒、重層、屋根切妻造本瓦葺の大建築で貞和二年の再建である。建築の樣式は唐樣に屬し、上層屋根の前面中央部は前方に向つてその一部を突出し恰も向拜の如き形式を現はし、正面の入口を作つて居る。下層前面には唐戶及火燈窓を附け、軒下は立涌形の明り窓を作つて居る。內部は化粧屋根裏を現はし、床はすべて土閒で瓦敷となし、中央に白木造の須彌壇を設け、釋迦の立像を安置して居る。こゝは多數の僧侶が禪道の修業をなす所で、柱にかゝつて居る聯には「闔山一千七百餘員淸衆」などの句がある。

東司[國寶] 禪堂の南鄰にあり、禪堂內で修業の僧侶が使用した室町時代に於ける禪宗式の便所である。七閒四面、單層、屋根切妻造、本瓦葺の建築で、外面には格子窓を附け、禪堂に面せる妻部の一面に入口を設け、內部は土閒で左右兩側面に厠を作つて居る。禪宗式便所の古き形式を見るべき貴重な遺構である。

浴室[國寶] 三門の東南にあり、桁行三閒、梁閒四閒單層屋根は切妻造本瓦葺の建築で、屢々修繕を加へられて居るが、尙室町末期の樣式を傳へ、禪宗寺院の浴室として多くの古式を存するは稀に見る所である。

通天橋 禪堂から經藏の前を經て開山堂に至る途中洗玉澗と稱する溪流に架せられた木橋である。兩岸に楓樹多く紅葉の名所として名高い。この橋は普明國師が開山堂に往來し易からしめんがために設けたものであると云ふ。この橋の下流にまた一橋あり、臥雲橋と云つて居る。

開山堂 通天橋の北端から直ちに丘陵を登つて達する。開山聖一國師の木像を安置して居る。

普門院 開山堂門內の西側にあり、開山國師の常住せし方丈と傳へ、他所よりこゝへ移建されたものと云ふ。建築の樣式は寢殿造に屬し、內部は三室に別れ各室の仕切に建てられた襖には、金地に極彩色の貼附繪がある。桃山時代の樣式を傳へた華麗な裝飾畫を以て充たされて居る。

月華門[國寶] 開山堂の前を西へ下るとこの門に達する。文永年閒龜山天皇の御所の月華門を賜つたものと傳へ、今普門院の總門として西面して建て居る。屋根は切妻造、朱塗の四脚門である。小建築であるが、蟇股その他の細部に雄健な手法を存する鐮倉時代の建築である。

  • 寶物
  • 無準師師範像[國寶] 一幅 絹本著色、無準は東福寺の開山聖一國師が入宋の際師事した支那五山の隨一たる杭州の經山萬壽寺の名僧で、上に喜熙二年の自贊がある。圖は南宋寫實派の特色を現はし、面貌法衣等の描線に、淡き陰影を施し、色調は平明淡泊、南宋禪林の趣味によつて製作された禪林名僧の朗らかな面影を描寫せる優秀な作品である。
  • 聖一國師像[國寶] 一幅 紙本著色、明兆筆、筆致頗る謹嚴、線の打込み强く、力ある運筆によつて輪廓を組み上げ、明快な彩色を施して居る。筆者明兆は東福寺の殿司を勤めた畫僧で、當寺にはこの他多くの遺作を傳へて居るが、この像は彼が特に妙技を揮つたもので、宋元の畫風を學んで一生面を開いた彼の特色を發揮して居る。
  • 四十祖像[國寶] 四十幅 紙本著色、明兆筆、達磨大師から天柱具禪師に至る臨濟宗の四十祖師の半身像を描いたものである。
  • 涅槃像 一幅 絹本著色、明光筆、涅槃像中最も大なる巨幅にして明兆五十七歲の作である。每年三月十五日の涅槃會の前後三日閒禪堂にかけて一般の禮拜を許して居る。
  • 五百羅漢圖[國寶] 四十五幅 絹本著色、明兆筆、中二十幅 京都博物館出陳
  • 達磨蝦蟇鐵拐像[國寶] 紙本淡彩 明兆筆 三幅
  • 支那禪刹圖式[國寶] 紙本墨書 傳大宋諸山圖 一卷
  • 參天臺五臺山記[國寶] 五册 紙本墨書、卷第五に承安元年八月書寫の奧書がある。
  • 左記寶物は京都博物館出陳
  • 釋迦三尊像[國寶] 絹本著色 三幅
  • 東福寺伽藍圖[國寶] 紙本淡彩 傳雪舟筆 一幅
  • 聖一國師度牒[國寶] 紙本墨書 二幅
  • 聖一國師戒牒[國寶] 紙本墨書 二幅
  • 無準行狀記[國寶] 紙本墨書 五幅
  • 左記の一點は東京帝室博物館出陳
  • 維摩居士像[國寶] 紙本墨畫 一幅

伏見・桃山のみどころ