白河天皇成菩提院陵

白河天皇成菩提院御陵
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

市営および奈良電車城南宮下車西0.5km、竹田内畑町にあります。約15m四方の低い御塚墓で周囲に堀があり、陵前に松、桜が多く植えられています。天皇は平安時代の延久4年(1072年)御即位、皇綱の振張に勉められ、そのため摂関の勢威はようやく衰え、大政がはじめて宸衷に出ることとなりました。応徳3年(1086年)堀河天皇に御譲位の後も院中で政をとられ、崇徳天皇に至る3代50年間の院政の基を開かれました。大治4年(1129年)御寿77にて崩御されました。

※底本:『日本案内記 近畿篇 上(初版)』昭和7年(1932年)発行

令和に見に行くなら

名称
白河天皇成菩提院陵
かな
しらかわてんのうじょうぼだいいんのみささぎ
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
京都府京都市伏見区竹田浄菩提院町91
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

市營及奈良電車城南宮下車西半粁、竹田內畑町にある。約一五米四方の低い御塚墓で周圍に堀あり、陵前に松、櫻が多く植ゑられて居る。天皇は延久四年御卽位、皇綱の振張に勉められ、ために攝關の勢威漸く衰へ、大政はじめて宸衷に出づるに至つた。應德三年堀河天皇に御讓位の後も院中に政を聽き給ひ、崇德天皇に至る三代五十年閒の院政の基を開かれた。大治四年御壽七十七にて崩御せられた。

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