泉が城
泉ケ館址
昭和初期のガイド文
平泉駅の西北約4km。中尊寺の西北山麓にあって戸河内集落の東北約0.5km。里俗伝えて秀衡の子泉三郎忠衡の居館跡といいます。忠衡は義経方であったため、義経敗亡の後兄泰衡の兵に襲殺されました。
※底本:『日本案内記 東北篇(初版)』昭和4年(1929年)発行
令和に見に行くなら
- 名称
- 泉が城
- かな
- いずみがじょう
- 種別
- 見所・観光
- 状態
- 現存しない
- 備考
- 民家の敷地や畑、水田となっています。
日本案内記原文
驛の西北約四粁。中尊寺の西北山麓にあつて戶河內部落の東北約半粁。里俗傳へて秀衡の子泉三郞忠衡の居館址と云ふ。忠衡は義經の同心なりしため、義經敗亡の後兄泰衡の兵に襲殺せられた。