長者ヶ原廃寺跡

傳、三條吉次信高宅址
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

平泉駅の西北約4km、川東集落から上衣川に至る道路を約200m北行すれば道端、民家の後方の田圃にあります。東西50m、南北30m、周囲に土塁を巡らし、中央に草原となった土壇が残り、26個の礎石が整然と並んでいます。これは五間四面の屋舎の型です。その西の数間にも土壇があり礎石が点在しています。里俗この地を長者ヶ原と呼び遺蹟を吉次屋敷跡とし、藤原氏全盛期の金売商三条吉次信高の宅跡と伝えています。

※底本:『日本案内記 東北篇(初版)』昭和4年(1929年)発行

令和に見に行くなら

名称
長者ヶ原廃寺跡
かな
ちょうじゃがはらはいじあと
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
備考
当時吉次信高(金売吉次)の屋敷跡と考えられていた遺跡は、その後の発掘調査の結果、寺院跡であることがわかっています。
住所
岩手県奥州市衣川区田中西
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

驛の西北約四粁、川東部落から上衣川に至る道路を約二〇〇米北行すれば道端、民家の後方の田圃にある。東西五〇米、南北三〇米、周圍に土壘を繞らし、中央に草原となれる土壇を存し、二十六個の礎石が整然と列んで居る。これは五閒四面の屋舍の型である。その西方數閒にも土壇があり礎石が點在して居る。里俗この地を長者ケ原と呼び遺蹟を吉次屋敷址と稱へ、藤原氏盛時の頃の金賣商三條吉次信高の宅址と傳へて居る。

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