衣川館跡(高館義経堂)
高館址(衣河館)
昭和初期のガイド文
平泉駅の北1km、中尊寺に至る道路の東側にある老杉が鬱蒼とした小丘を高館山と名づけ、現在丘上に義経堂と呼ばれる小堂があり、伊達綱村の建立で義経の木像を安置します。高館は源義経が居住し鎌倉時代の文治5年(1189年)藤原泰衡に攻められて戦に敗れ自刃したところと伝え、高館山から東におよぶ地を占めていましたが、北上川河道の変遷によって旧跡がすべて失われました。
※底本:『日本案内記 東北篇(初版)』昭和4年(1929年)発行
令和に見に行くなら
- 名称
- 衣川館跡(高館義経堂)
- かな
- ころもがわのたてあと(たかだちぎけいどう)
- 種別
- 見所・観光
- 状態
- 現存し見学できる
- 住所
- 岩手県西磐井郡平泉町平泉柳御所
- 参照
- 参考サイト(外部リンク)
日本案内記原文
驛の北一粁、中尊寺に至る道路の東側にある老杉鬱蒼たる小丘を高館山と名づけ今丘上に義經堂と稱する小堂あり、伊達綱村の建立で義經の木像を安置する。高館は源義經が居住し文治五年藤原泰衡に攻められて戰敗れ自刃した處と傳へ、高館山から東方に及ぶ地を占めて居たが、北上川河道の變遷によつて舊址が全く失はれた。