霧島神宮

霧島神宮[官幣大社]
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

霧島神宮駅の東北約8km、姶良郡霧島村田口宇霧島にあり、自動車の便があります。

この神宮の社地は高千穂峰台地、森厳幽邃の地を占め、南は広く開け、遠く桜島および開聞岳を望んで展望が広いところです。本宮の創建は遠く欽明天皇の御代にあると伝わり、その社殿は古くは山上にありましたが、後に現在のところに移建されました。江戸時代には島津氏の崇敬が厚く、現在の社殿は江戸時代中期の正徳年間(1711~1716年)島津氏21代の国主吉貴が再建したもので、勅使殿、拝殿および本殿を具備しています。

勅使殿 方一間、入母屋造、杮葺朱塗の建築で、正面に唐破風を付設し、極然色の華麗な彫刻を嵌装しています。

拝殿 長い登り廊下によって、勅使殿と接続しています。七間三面入母屋造、杮葺、正面に千鳥破風をかけています。柱蟇股等は朱塗ですが、蔀戸、枇杷板、床等は黒塗になっています。

本殿 七間六面、入母屋造、杮葺の建築です。柱は、円柱で朱塗、登階段は黒塗で高欄は朱塗になっています。階段下左右の大柱には極彩色を施した竜の彫刻を加え、長押上小壁には極彩色の中国人物の図を描き、非常に華麗な獎飾を施しています。

例祭は9月19日。

※底本:『日本案内記 九州篇(六版)』昭和13年(1938年)発行
霧島神宮

令和に見に行くなら

名称
霧島神宮
かな
きりしまじんぐう
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
鹿児島県霧島市霧島田口2608番地5号
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

霧島神宮驛の東北約八粁、姶良郡霧島村田口宇霧島にあり、自動車の便がある。

當神宮の社地は高千穗峯臺地森嚴幽邃の地を占め、南方廣く開け、遠く櫻島及開聞嶽を望みて展望が廣い。本宮の創建は遠く欽明天皇の御代にありと傳へ、その社殿古くは山上にあつたが、後今の所に移建された。江戶時代には島津氏の崇敬厚く、現今の社殿は正德年閒島津氏二十一代の國主吉貴の再建したもので、敕使殿、拜殿及本殿を具備して居る。

敕使殿 方一閒、入母屋造、杮葺朱塗の建築で、正面に唐破風を附設し、極然色の華麗な彫刻を嵌裝して居る。

拜殿 長い登り廊下によつて、敕使殿と接續して居る。七閒三面入母屋造、杮葺、正面に千鳥破風をかけて居る。柱蟇股等は朱塗であるが、蔀戶、枇杷板、床等は黑塗になつて居る。

本殿 七閒六面、入母屋造、杮葺の建築である。柱は、圓柱にして朱塗、登階段は黑塗で高欄は朱塗になつて居る。階段下左右の大柱には極彩色を施した龍の彫刻を加へ、長押上小壁には極彩色の支那人物の圖を描き、頗る華麗な獎飾を施して居る。

例祭、九月十九日。

霧島・えびののみどころ