大隅国分寺跡

大隅國分寺址[指定史蹟]
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

国分駅の東約1km、姶良郡国分町向花にあります。旧寺域に共有墓地があり、土壇の一部が残存し、墓石の間に礎石1個、石造の層塔、六観音像、仁王像等が残っています。層塔は凝灰岩製で高さ約4mの六重ですが、もと七重塔であったのを上層三重を失い、二重だけを補ったもので蓋石は軒の出が少なく彫刻をもって二軒を表しています。第2層の石面に康治元年壬戌十一月六日の銘文が刻されています。六観音石像は小形で大願主淵脇安純 永禄五年壬戌中春彼岸云云の銘文があります。また仁王石像は上体部、同頭部を欠くもの、下体部等が墓地内に存在しています。布目瓦が地中から出ることがあるといいます。

※底本:『日本案内記 九州篇(六版)』昭和13年(1938年)発行

令和に見に行くなら

名称
大隅国分寺跡
かな
おおすみこくぶんじあと
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
鹿児島県霧島市国分中央1-23-1794
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

國分驛の東約一粁、姶良郡國分町向花にある。舊寺域に共有墓地あり、土壇の一部殘存し、墓石の閒に礎石一箇、石造の層塔、六觀音像、仁王像等が存して居る。層塔は凝灰岩製高さ約四米で六重であるが、もと七重塔であつたのを上層三重を失ひ、二重だけを補つたもので蓋石は軒の出少なく彫刻を以て二軒を表はして居る。第二層の石面に康治元年壬戌十一月六日の銘文が刻されて居る。六觀音石像は小形で大願主淵脇安純 永祿五年壬戌中春彼岸云云の銘文がある。また仁王石像は上體部、同頭部を缺くもの、下體部等が墓地內に存在して居る。布目瓦が地中から出ることがあると云ふ。

姶良・隼人のみどころ