蒲生八幡神社
八幡神社[縣社]
昭和初期のガイド文
蒲生町上久徳にあり、久徳八幡宮ともいい、蒲生上総介藤原舜清が平安時代の保安4年(1123年)宇佐八幡宮をこの地に勧請したと伝わっています。蒲生氏滅亡後に島津義弘が新たに社殿を再興しました。社宝のうち草花飛雀鏡はこの種類の優品で鎌倉時代後期の製作になり、国宝に指定されています。このほかに扇面模様のあるもの一面、建治3年施入の銘ある草花双雀鏡、嘉元3年11月施入の銘ある松竹双雀鏡や康永2年施入の銘に竹に雀の文様のあるもの等各一面があります。
※底本:『日本案内記 九州篇(六版)』昭和13年(1938年)発行
令和に見に行くなら
- 名称
- 蒲生八幡神社
- かな
- かもうはちまんじんじゃ
- 種別
- 見所・観光
- 状態
- 現存し見学できる
- 住所
- 鹿児島県姶良市蒲生町上久徳2259-1
- 参照
- 参考サイト(外部リンク)
日本案内記原文
蒲生町上久德にあり、久德八幡宮とも云ひ、蒲生上總介藤原舜淸が保安四年宇佐八幡宮をこの地に勸請したと傳へる。蒲生氏滅亡後島津義弘新に社殿を再興した。社寶のうち草花飛雀鏡はこの種類品中の優品で鐮倉時代後期の製作にかゝり、國寶に指定されて居る。この他に扇面模樣のあるもの一面、建治三年施入の銘ある草花雙雀鏡、嘉元三年十一月施入の銘ある松竹雙雀鏡や康永二年施入の銘に竹に雀の文樣のあるもの等各一面がある。