蒲生町
蒲生町
昭和初期のガイド文
帖佐駅の西北約8km、自動車の便があります。姶良郡の西部に位置し、人口は1万2,000人。往昔蒲生氏の居城地で、江戸時代前期の正保元年(1644年)宮之城領主島津久通が国老となって鋭意殖産振興を計り、この地に松の造林を行ったので松林の優れたものがあります。
※底本:『日本案内記 九州篇(六版)』昭和13年(1938年)発行
令和に見に行くなら
- 名称
- 蒲生町
- かな
- かもうちょう
- 種別
- 見所・観光
- 状態
- 現存し見学できる
- 備考
- 合併により姶良市となっています。
- 住所
- 鹿児島県姶良市
- 参照
- 参考サイト(外部リンク)
日本案内記原文
帖佐驛の西北約八粁、自動車の便がある。姶良郡の西部に位し、人口一萬二千。往昔蒲生氏の居城地たり、正保元年宮之城領主島津久通が國老となつて銳意殖產振興を計り、この地に松の造林を行つたので松林の勝れたものがある。