鹿児島神宮

鹿兒島神宮[官幣大社]
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

隼人駅の北約1.5km、姶良郡隼人町字宮内景勝の地にあり、自動車の便があります。

この神宮の創建は神代にあるとも、また神武天皇の御代であるとも伝え明らかでありませんが、古来天津日高彦火火出見尊を奉祀し、延喜の制において大社に列し、大隅国の一宮として上下の崇敬が非常に厚く、社殿営繕の費用は常に日薩隅三国の正税をもってあてられ、江戸時代の末に至るまで多くの社領を有していました。

現存社殿は江戸時代宝暦年間(1751~1764年)の造営になり、勅使殿、邦殿および本殿を具備しています。

勅使殿 三間一面、朱塗の建築で床は黒塗になっています。通路を隔てて拝殿に接し、左右に朱塗の袖を出しています。

拝殿 三間五面妻入の建築にして本殿と丁字に交わり、朱塗の柱を立て、床も朱塗とし、天井は格天井で草花を描き極彩色を施しています。

本殿 七間四面入母屋造、檜皮葺、朱塗の円柱を建てています。正面三間には唐戸を立て、その左右一間には腰長押下に唐獅子を描き、その他両側面および後面の羽目にも金地に梅、桜などを描き、華麗な装飾を施しています。

例祭 8月15日、旧暦5月5日に催される御田植祭の特殊神事には参拝者が多く大いに賑わいます。

  • 宝物
  • 刀[国宝] 無銘伝則重 1口
※底本:『日本案内記 九州篇(六版)』昭和13年(1938年)発行

令和に見に行くなら

名称
鹿児島神宮
かな
かごしまじんぐう
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
鹿児島県霧島市隼人町内2496
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

隼人驛の北約一粁半、姶良郡隼人町字宮內景勝の地にあり、自動車の便がある。

當神宮の創建は神代にありとも、また神武天皇の御代なりとも傳へ詳かでないが、古來天津日高彥火火出見尊を奉祀し、延喜の制に於て大社に列し、大隅國の一宮として上下の崇敬甚だ厚く、社殿營繕の費は常に日薩隅三國の正稅を以て充てられ、江戶時代の末に至るまで多くの社領を有して居た。

現存社殿は江戶時代寶曆年閒の造營にかゝり、敕使殿、邦殿及本殿を具備して居る。

敕使殿 三閒一面、朱塗の建築で床は黑塗になつて居る。通路を距てゝ拜殿に接し、左右に朱塗の袖を出して居る。

拜殿 三閒五面妻入の建築にして本殿と丁字に交はり、朱塗の柱を立て、床も朱塗となし、天井は格天井で草花を描き極彩色を施して居る。

本殿 七閒四面入母屋造、檜皮葺、朱塗の圓柱を建てゝ居る。正面三閒には唐戶を立て、その左右一閒には腰長押下に唐獅子を描き、その他兩側面及後面の羽目にも金地に梅、櫻などを描き、華麗な裝飾を施して居る。

例祭 八月十五日、舊曆五月五日に催される御田植祭の特殊神事には參拜者多く大いに賑ふ。

  • 寶物
  • 刀[國寶] 無銘傳則重 一口

姶良・隼人のみどころ