橋牟礼川遺跡

指宿橋牟禮川遺物包含地[指定史蹟]
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

指宿駅付近十二町字橋牟礼にあります。火山灰からなる低い台地は、雨水等の水流によって軟弱な灰層が浸蝕されて一種の細長い渓谷が形成されて自然の長い発掘縦穴ができていますが、長さ約100mにわたって土器包含層が左右の縦断面に露出しています。表土の直ぐ下は火山灰の層で、次に泥流磐がある下に斎瓮土器、石斧、凹み石、弥生式土器、獣骨片を包含し、この下に火山灰の厚い層を隔てていわゆるアイヌ式と呼ばれる曲線紋様および縄文土器破片が包含されています。これは有史以前に起こった火山の爆発によってまず縄文土器使用民の集落が火山灰をもって埋没された後、相当の歳月を経て、同じ場所に弥生式土器使用民が住んでいましたが、かれらもまた災厄に襲われ、噴出する熱泥流によって埋没されたことを物語っているもので、最も上層の火山灰はおそらく有史時代になってからのもので、三代実録には平安時代の貞観16年(874年)開聞岳の噴火を記載しています。このように火山噴出物が層状をなして推積して、古代民族文化変遷の跡を明確に示した遺跡は類例に乏しく、考古学上貴重な遺跡です。遺物はこの丘陵のほかに摺之浜集落の南の海浜に近い丘陵からも弥生式土器等が出土しています。

※底本:『日本案内記 九州篇(六版)』昭和13年(1938年)発行

令和に見に行くなら

名称
橋牟礼川遺跡
かな
はしむれがわいせき
種別
見所・観光
状態
状態違うが見学可
備考
公園として整備されています。
住所
鹿児島県指宿市十二町2316-2
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

指宿驛附近十二町字橋牟禮にある。火山灰から成る低い臺地は、雨水等の水流によりて軟弱な灰層が浸蝕されて一種の細長い溪谷が形成せられて自然の長い發掘縱穴が出來て居るが、長さ約一〇〇米に亙つて土器包含層が左右の縱斷面に露出して居る。表土の直ぐ下は火山灰の層で、次に泥流磐が存する下に齋瓮土器、石斧、凹み石、彌生式土器、獸骨片を包含し、この下に火山灰の厚き層を隔てゝ所謂あいぬ式と稱せられる曲線紋樣及繩紋土器破片が包含せられて居る。これは有史以前に起つた火山の爆發によりて先づ繩紋土器使用民の聚落が火山灰を以て埋沒された後、相當の歲月を經て、同じ場所に彌生式土器使用民が住したが、かれ等もまた災厄の襲ふ所となり、噴出する熱泥流によりて埋沒せられた事を物語つて居るもので、最も上層の火山灰は恐らく有史時代に成つてからのもので、三代實錄には貞觀十六年開聞嶽の噴火を記載して居る。かくの如く火山噴出物が層狀をなして推積して、古代民族文化變遷の跡を明確に示した遺跡は類例に乏しく、考古學上貴重な遺跡である。遺物はこの丘陵の他に摺之濱部落の南方海濱に近い丘陵からも彌生式土器等が出土して居る。

指宿のみどころ