佐嘉神社
昭和初期のガイド文
[別格官幣社] 松原神社の西隣に位置しています。この神社は、もともと松原神社の南殿に祀られていた鍋島直正公を主祭神とし、昭和8年(1933年)9月に現在の社格に列せられました。鍋島直正公は文化11年(江戸時代、1814年)に生まれ、天保元年(1830年)に藩主となりました。藩政の刷新に尽力し、文武の教育を奨励しました。さらに、長崎港の防備を進め、独力で砲台を築くなど、幕末期の佐賀藩を先進的に導いた人物です。また、反射炉を建設し銃砲を鋳造するほか、幕府の命により品川台場の備砲も手掛けました。さらに、海軍学校の創設や艦船の購入・製造に尽力し、西洋医学を学ぶための医学所や蘭学寮を設立しました。特に嘉永初年(1848年頃)には、種痘を研究して自らの子女に実施し、その普及に努めました。直正公は晩年「閑叟」と号し、明治4年(1871年)に薨去されました。例祭は10月12日です。佐賀市内外には築地大砲鋳造所跡、多布施反射炉跡、中折調練場跡、高岸精練所跡など、直正公ゆかりの地が今も残っています。
令和に見に行くなら
- 名称
- 佐嘉神社
- かな
- さがじんじゃ
- 種別
- 見所・観光
- 状態
- 現存し見学できる
- 住所
- 佐賀県佐賀市松原2-10-43
- 参照
- 参考サイト(外部リンク)
日本案内記原文
[別格官幣社] 松原神社の西隣にある。もと松原神社の南殿に祀られた鍋島直正を祭神として昭和八年九月現社格に列せられた。祭神直正は幕末の藩主で、文化十一年に生れ、天保元年襲封以來、銳意藩政刷新に努力し文武の教養を奬勵し、長崎港の防備に獨力を以て砲臺を築いた。また歐米の學術武藝を講じ、反射爐を建設し、銃砲を鑄造し、幕命に應じて、品川臺場の備砲を鑄造した。その他海軍學校の創設、艦船の購入製作に盡力し、また蘭學寮を設け、精鍊所を創建し、醫學校を興して西洋醫術を研究せしめ、嘉永の初年に種痘の法を究め、自己の子女に試みて天下に普及せしめた。晩年隱居して閑叟と號し明治四年薨じた。例祭十月十二日。築地大砲鑄造所址、多布施反射爐址、中折調練場址、高岸精煉所址等が市の內外に遺つて居る。
