志賀島
志賀島
昭和初期のガイド文
博多湾鉄道西戸崎駅または博多から汽船の便があります。志賀島村に属し、海の中道の先端にありますが、潮が満ちる時にはこれと離れ、その間を道切といいます。周囲約8km、元寇の遺蹟が多く、高野山の僧が祈祷したという火焔坂、蒙古首切塚などがあります。叶崎は江戸時代後期の天明4年(1784年)、農夫が漢委奴国王の黄金印を発掘した遺跡で、印は現在黒田侯爵家が所蔵しています。
※底本:『日本案内記 九州篇(六版)』昭和13年(1938年)発行
令和に見に行くなら
- 名称
- 志賀島
- かな
- しかのしま
- 種別
- 見所・観光
- 状態
- 現存し見学できる
- 住所
- 福岡県福岡市東区
- 参照
- 参考サイト(外部リンク)
日本案内記原文
同博多灣鐵道西戶崎驛または博多から汽船の便がある。志賀島村に屬し、海中道の先端にあるが、潮が滿つる時はこれと離れ、その閒を道切と云ふ。周回約八粁、元寇の遺蹟多く、高野山の僧等が祈祷したと云ふ火焔坂、蒙古首切塚等がある。叶崎は天明四年農夫が漢委奴國王の黃金印を發掘した遺址で、印は今黑田侯爵家に藏されて居る。