香椎宮

香椎宮[官幣大社]
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

香椎駅の東南約1km、糟屋郡香椎村にあり、自動車の便があります。

ここは仲哀天皇が熊襲および三韓征伐をするため行宮を置かれた地で、天皇はこの地で崩御されました。この経緯から主として神功皇后を祀っていましたが、明治年間になって、鎮祭の由緒に鑑みて仲哀天皇をも奉祀されたものです。本宮は宇佐神宮と同様に、古来即位大嘗会あるいは変災外寇など事あるごとに奉幣使を遣わせた社で朝廷の御尊崇が極めて厚いものでした。社殿はしばしば炎上し、現存本殿は江戸時代の再建で、その他の建物はいずれもその後に造営されたものです。

第一鳥居を入り、池上に架けられた反橋を渡り、第二の鳥居を経て石段を登ると、ここに三間二面、檜皮葺、素木造の楼門があります。この楼門を入ると右手に社務所があり、その前に石玉垣に囲まれた御神木綾杉があります。ここからさらに石段を登ると朱塗の随身門がありその左右にまた朱塗の廻廊が設けられ、その奥に拝殿および本殿があります。

例祭は10月29日。

拝殿 明治年間の建築、一間三面、妻入、檜皮葺、内外ともに朱塗で、拝殿の左右から瑞垣が出て本殿を囲んでいます。

本殿[国宝] 江戸時代後期の享和元年(1801年)国主黒田長順が再建したものです。三間社入母屋造、正面向拝、千鳥破風、左右一間の袖に車寄が付いています。屋根は複雑な外観を呈し、いわゆる香椎造の形式をしています。内部床は拭板敷で正面に外陣があり、その左右に獅子間があります。外陣の後ろには中陣、内陣が相次ぎ、内陣には神座が設けられています。外部はすべて丹塗で、蔀戸は緑青塗になっています。

※底本:『日本案内記 九州篇(六版)』昭和13年(1938年)発行
香椎宮 香椎宮境内図

令和に見に行くなら

名称
香椎宮
かな
かしいぐう
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
福岡県福岡市東区香椎4-16-1
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

香椎驛の東南約一粁、糟屋郡香椎村にあり、自動車の便がある。

當社は仲哀天皇が熊襲及三韓征伐をなさんとして行宮を置き給ひし地にして、天皇はこの地に崩御あらせられた。かくて當社には主として神功皇后を祀られしが明治年閒に至り、鎭祭の由緖に鑑みて仲哀天皇をも奉祀されたのである。本宮は古來卽位大嘗會或は變災外寇等の事ある每に奉幣使を遣はし給ひしこと宇佐神宮と同樣で朝廷の御尊崇極めて厚かつた。社殿は屢々炎上し、現存本殿は江戶時代の再建にしてその他の建物は何れもその後に造營されたものである。

第一鳥居を入り、池上に架せられた反橋を渡り、第二の鳥居を經て石段を登ると、こゝに三閒二面、檜皮葺、素木造の樓門がある。この樓門を入ると右手に社務所があり、その前に石玉垣に圍まれた御神木綾杉がある。こゝから更に石段を登ると朱塗の隨身門がありその左右にまた朱塗の廻廊が設けられ、その奧に拜殿及本殿がある。

例祭十月二十九日。

拜殿 明治年閒の建築、一閒三面、妻入、檜皮葺、內外ともに朱塗で、拜殿の左右より瑞垣が出て本殿を圍んで居る。

本殿[國寶] 享和元年國主黑田長順の再建したものである。三閒社入母屋造、正面向拜、千鳥破風、左右一閒の袖に車寄が付て居る。屋根は複雜な外觀を呈し、所謂香椎造の形式をなして居る。內部床は拭板敷で正面に外陣があり、その左右に獅子閒がある。外陣の後ろには中陣、內陣相次ぎ、內陣には神座が設けられて居る。外部は悉く丹塗で、蔀戶は綠靑塗になつて居る。

香椎・箱崎のみどころ