早鞆の瀬戸(関門海峡)
早鞆の瀨戶
昭和初期のガイド文
和布刈神社の前面にあたります。九州と中国との間に位置し、瀬戸内海の西口にあたり、幅はわずかに約545m、潮流早く、交通上、軍事上の要地です。ここは太古陸地が連なり、下は洞門となっていたため穴門または長門といい、長門の国名の起りとなったと伝えられています。この海峡から洞海に至る地方およびその付近は要塞地帯です。
※底本:『日本案内記 九州篇(六版)』昭和13年(1938年)発行
令和に見に行くなら
- 名称
- 早鞆の瀬戸(関門海峡)
- かな
- はやとものせと(かんもんかいきょう)
- 種別
- 見所・観光
- 状態
- 現存し見学できる
- 住所
- 福岡県北九州市、山口県下関市
- 参照
- 参考サイト(外部リンク)
日本案内記原文
和布刈神社の前面に當る。九州と中國との閒に位し、瀨戶內海の西口に當り、幅僅に約五四五米、潮流早く、交通上、軍事上の要地である。こゝは太古陸地が連り、下は洞門となつて居たから穴門または長門と云ひ、長門の國名の起りをなしたと傳へられる。この海峽から洞海に至る地方及その附近は要塞地帶である。