倶知安町

倶知安町
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

比羅夫、倶知安両駅所在地。町名はアイヌ語クチャウンナイ(猟人の小舎のある谷)の上部クチャウンが訛ったものといいます。尻別川の上流地方における肥沃な盆地に位置し、羊蹄山と硫黄山が東西にそびえ、東西約20km、南北14kmに近く、面積276km²です。この地はもと御料地でしたが明治28年(1895年)から殖民地に編入され、翌29年(1896年)4月虻田村から分離して倶知安村と称し、函館~小樽間の鉄道の開通によって村勢がにわかに進展し、同43年(1910年)3月東俱知安村を分離し、大正5年(1916年)4月から町となりました。後志支庁の所在地で、営林区署、森林事務所、農事試作場、中学校等などもあり、米、除虫菊等の収穫、硫黄の採掘等が行われています。人口1万3,000人。駅の北約8kmに青木農場、西北おおよそ4kmに村上牧場、同約8kmに安達牧場があります。

※底本:『日本案内記 北海道篇(五版)』昭和11年(1936年)発行

令和に見に行くなら

名称
倶知安町
かな
くっちゃんちょう
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
北海道虻田郡倶知安町
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

比羅夫、倶知安兩驛所在地。町名はアイヌ語クチャウンナイ(獵人の小舍のある谷)の上部クチャウンの轉訛であらうと云ふ。尻別川の上流地方に於ける肥沃な盆地に位し、羊蹄山、硫黃山、東西に聳え、廣表東西約二〇粁、南北一四粁に近く、面積二七六方粁である。この地はもと御料地であつたが明治二十八年から殖民地に編入され、翌二十九年四月虻田村から分離して倶知安村と稱へ、函樽閒の鐵道の開通によつて村勢頓に進展し、同四十三年三月東俱知安村を割き、大正五年四月から町に列した。後志支廳の所在地で、營林區署、森林事務所、農事試作場、中學校等をも有し、米、除蟲菊等の收穫、硫黃の採掘等が行はれる。人口一萬三千。驛の北約八粁に靑木農場、西北凡そ四粁に村上牧場、同約八粁に安達牧場がある。

ニセコ・倶知安のみどころ