下野薬師寺跡
藥師寺址
昭和初期のガイド文
石橋駅の南約5km、薬師寺村安国寺境内にあり、自動車の便があります。薬師寺は奈良朝に東国の戒壇として東大寺に次ぎ、筑前の観世音寺と並び称された大寺で、奈良時代の宝亀元年(770年)僧道鏡が左遷されて造薬師寺別当となった寺です。寺跡は四辺が道路によって限られた東西220m、南北330m程の矩形となった地域で、東南および西南部に土塁が残っています。寺跡にはところどころに布目瓦が散在していますが、蓮華紋の瓦当や薬師寺の文字のある瓦が往々発見され、安国寺にも数個保存されています。寺跡は指定の史蹟で、その原状は多く破壊されていますが、なおその規模の大きかったことが知られます。
※底本:『日本案内記 関東篇(初版)』昭和5年(1930年)発行
令和に見に行くなら
- 名称
- 下野薬師寺跡
- かな
- しもつけやくしじあと
- 種別
- 見所・観光
- 状態
- 現存し見学できる
- 住所
- 栃木県下野市薬師寺
- 参照
- 参考サイト(外部リンク)
日本案内記原文
石橋驛の南約五粁、藥師寺村安國寺境內にあり、自動車の便がある。藥師寺は奈良朝に東國の戒壇として東大寺に次ぎ、筑前の觀世音寺と竝び稱せられた大寺で、寶龜元年僧道鏡の貶せられて造藥師寺別當となつた寺である。寺址は四邊が道路によつて限られた東西二二〇米、南北三三〇米程の矩形をなせる地域で、東南及西南部に土壘が殘つて居る。寺址には所々に布目瓦が散在して居るが、蓮華紋の瓦當や藥師寺の文字ある瓦が往々發見され、安國寺にも數個保存されて居る。寺址は指定の史蹟で、その原狀は多く破壞されて居るが、尙その規模の大であつたことが知られる。