小金井一里塚

小金井一里塚
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

小金井駅の西北300m、国分寺村小金井にあって、陸羽街道と並行する旧奥州街道を挟み、左右の2基の塚が東西の路傍に相対立しています。両方とも直径約10m、高さ2.5m、旧街道は現在両塚の間に村道として名残を止めているに過ぎません。一里塚は江戸時代前期の慶長9年(1604年)徳川幕府の定めにより東海、東山、北陸などの諸道の街道に築造されたもので、その多くはすでに破壊されていますが、この一里塚は左右2基ともよく旧態を残し、江戸時代の交通関係を示すべき指定の史蹟です。

※底本:『日本案内記 関東篇(初版)』昭和5年(1930年)発行

令和に見に行くなら

名称
小金井一里塚
かな
こがねいいちりづか
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
栃木県下野市小金井4-23-9
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

小金井驛の西北三〇〇米、國分寺村小金井にあつて、陸羽街道と竝行せる舊奧州街道を挾み、左右の二基の塚が東西の路傍に相對立して居る。兩方とも直徑約一〇米、高さ二米半、舊街道は今兩塚の閒に村道として名殘を止めて居るに過ぎない。一里塚は慶長九年德川幕府の定めにより東海、東山、北陸などの諸道の街道に築造されたもので、その多くは既に破壞されて居るが、この一里塚は左右二基ともよく舊態を存し、江戶時代の交通關係を示すべき指定の史蹟である。

下野のみどころ