鉢形城跡

鉢形城址
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

秩父鉄道寄居駅の南1km、東武鉄道東上線鉢形駅の西2km、大里村鉢形村にあります。荒川南岸に聳立する勝景の地にあり、城北の大部分は今は雑木林、畑地となり、本丸、二の丸、三の丸、諏訪曲輪などの跡をわずかに止めています。城は室町時代の中期、関東管領山内上杉氏が武蔵北部の要鎮として築き、重臣長尾氏に守らせましたが、文明5年(1469年)長尾景春が謀反を起こし、主家山内顕定と戦い、城はしばしば両氏の戦いの場となりました。同10年(1478年)景春は敗れて城を退去しましたが、永正9年(1512年)には景春がまた城を奪って入りました。その後一時廃城となりましたが、永禄3年(1560年)北条氏康の子氏邦が秩父天神山城から鉢形古城を修覆して移りました。天正18年(1590年)豊臣秀吉の小田原攻伐の際、この城も秀吉の攻略するところとなって落城し、以後廃城となります。城は自然のままの峰が半分と、人手が加わった部分が半分あります。

※底本:『日本案内記 関東篇(初版)』昭和5年(1930年)発行

令和に見に行くなら

名称
鉢形城跡
かな
はちがたじょうせき
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
埼玉県大里郡寄居町鉢形
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

同寄居驛の南一粁、東武鐵道東上線鉢形驛の西二粁、大里村鉢形村にある。荒川南岸に聳立する勝景の地にあり、城北の大部分は今は雜木林、畑地と化し、本丸、二の丸、三の丸、諏訪曲輪などの址を僅に止めて居る。城は室町時代の中期、關東管領山內上杉氏が武藏北部の要鎭として築き、重臣長尾氏をして居らしめたが、文明五年長尾景春叛し、主家山內顯定と戰ひ、城は屢々兩氏の攻奪を經、同十年景春敗れて城を退去し、永正九年景春亦城を奪いてこれに居る。その後一時廢城となつたが、永祿三年北條氏康の子氏邦秩父天神山城より鉢形古城を修覆して移つた。天正十八年豐臣秀吉の小田原攻伐の際、この城も秀吉の攻略する所となつて落城し、以後廢城となる。城は半ば天嶮により、半ば人工を加へたものである。

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