南河原石塔婆

南河原石塔婆
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

熊谷駅の東北約6.5km、南河原新井、観福寺境内に接する墓地内にあります。3枚あって最も大きなものは高さ2.6m、幅は基部で67cm、厚さ9cm、表面に阿弥陀の種子および阿弥陀三尊来迎の図を陰刻し、その下に鎌倉時代の文応2年(1261年)の年号および十数人の人名があります。次のものは高さ1.8m、幅58cm、仏の坐像および二人の脇侍を刻し、その下に文永2年(1265年)の年号および人名が刻されています。第三の塔婆は高さ1.7m、幅45cm、阿弥陀の種子を残すのみです。いずれも現在史蹟として指定されています。

※底本:『日本案内記 関東篇(初版)』昭和5年(1930年)発行

令和に見に行くなら

名称
南河原石塔婆
かな
みなみがわらいしとうば
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
埼玉県行田市南河原1503
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

驛の東北約六粁半、南河原新井、觀福寺境內に接續せる墓地內にある。三枚ありて最も大なるは高さ二米六(八尺五寸)幅基部にて六七糎(二尺二寸)、厚さ九糎(三寸)、表面に阿彌陀の種子及阿彌陀三尊來迎の圖を陰刻し、その下に文應二年の年號及十數人の人名がある。次なるは高さ一米八(五尺九寸)、幅五八糎(一尺九寸)、佛の坐像及二人の脇侍を刻し、その下に文永二年の年號及人名が刻されて居る。第三の塔婆は高さ一米七(五尺三寸)、幅四五糎(一尺五寸)、阿彌陀の種子を存するのみである。何れも今史蹟として指定されて居る。

熊谷・行田のみどころ