近藤守重の墓

近藤守重墓
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

市内電車蓬萊町下車、駒込追分町西善寺の墓地にあります。守重は通称重蔵、幕臣で江戸時代後期の寛政10年(1798年)ロシアが蝦夷地を侵入すると幕命により蝦夷地へ赴き、択捉に渡り銅柱を建て、北海警備の急を説きました。守重学を好み著書が多い。文化12年(1829年)59歳で没し、維新後に正五位を贈られました。

※底本:『日本案内記 関東篇(初版)』昭和5年(1930年)発行

令和に見に行くなら

名称
近藤守重の墓
かな
こんどうもりしげのはか
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
東京都文京区向丘1-13-8 西善寺内
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

市內電車蓬萊町下車、駒込追分町西善寺の墓地にある。守重は通稱重藏、幕臣で寬政十年露人蝦夷地を寇するや幕命を奉じ蝦夷地を巡按し、擇捉に渡り銅柱を建て、北海警備の急を說いた。守重學を好み著書が多い。文化十二年五十九歲で歿し、維新後正五位を贈られた。

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