湯島聖堂跡
湯島聖堂址
昭和初期のガイド文
市内電車明神前下車、本郷湯島二丁目にあります。江戸時代中期の元禄年中(1688~1704年)徳川綱吉が忍ヶ岡からここに聖堂を移し、壮麗なる殿舎を建て、孔子を祀り大成殿と称しましたが、その後数度の火災に遇い、江戸時代後期の寛政11年(1799年)徳川家斉が明制によって建築したものは、大正12年(1923年)の大震災で焼失し、わずかに入徳門、左右の塀と水屋が残るのみで指定の史跡となっています。諸侯の聖堂に献上した釈奠器は東京帝室博物館にあります。
※底本:『日本案内記 関東篇(初版)』昭和5年(1930年)発行
令和に見に行くなら
- 名称
- 湯島聖堂跡
- かな
- ゆしませいどうあと
- 種別
- 見所・観光
- 状態
- 状態違うが見学可
- 備考
- 昭和10年(1935年)に再建されました。
- 住所
- 東京都文京区湯島1-4-25
- 参照
- 参考サイト(外部リンク)
日本案内記原文
市內電車明神前下車、本鄕湯島二丁目にあり。元祿年中德川綱吉忍ケ岡よりこゝに聖堂を移し、壯麗なる殿舍を建て、孔子を祀り大成殿と稱したが、その後數度の火災に遇ひ、寬政十一年德川家齊が明制によつて建築したものは、大正十二年の大震災で燒失し、今僅に入德門、左右の塀及水屋を存するのみで指定の史蹟となつて居る。諸侯の聖堂に獻上した釋奠器は悉く東京帝室博物館にある。