本興寺
昭和初期のガイド文
尼崎駅の西北1km、阪神尼ヶ崎停留場の西0.5km、寺町にあります。室町時代の応永年間(1394~1428年)領主細川満元が日隆上人を開山として大物浦に建立したものを、江戸時代前期の元和6年(1620年)幕命によって現地に移し、江戸時代後期の文政5年(1822年)火災に遭い多数の堂宇を失いました。本堂等はその後の再建ですが、開山堂と三光堂は火災を免れて旧態を残し国宝となっています。
本堂 山門を入って正面に建っています。五間六面入母屋造、本瓦葺、文政6年(1823年)の再建です。
開山堂[国宝] 本堂の後庫裡と接続して建っています。室町時代の文正元年(1466年)の創建で、元和の移建改修を経ていますが、桃山時代の特徴を備えています。三間九面の長い建物で、前方三間二面の外々陣と、中央三間三面の外陣と、後方三間四面の祠堂すなわち内陣とに分れています。屋根は撞木造すなわち正面入母屋造をなし、その前流に軒唐破および庇を作り出し、その正面は非常に変わっています。後流からは切妻屋根を後方に突き出し、全部本瓦葺です。内部には華麗な装飾を施し、最奥の仏壇には享徳3年(1452年)堺の仏工浄伝作と伝わる木造の開山日隆上人坐像[国宝]を安置してあります。玉眼入彩色、法服合掌の肖像彫刻です。
三光堂[国宝] 山門を入って左手にあり、前面には江戸末期に建てた五間三面入母屋造の拝殿があります。慶長2年(1596年)の再建といい、三間社流造本瓦葺の神社建築で、絵様彫刻装飾等に桃山の特色が見られます。
寺宝のなかで珠数丸の剣という太刀一口も国宝です。
令和に見に行くなら
- 名称
- 本興寺
- かな
- ほんこうじ
- 種別
- 見所・観光
- 状態
- 現存し見学できる
- 住所
- 兵庫県尼崎市開明町3-13
- 参照
- 参考サイト(外部リンク)
日本案内記原文
尼崎驛の西北一粁、阪神尼ケ崎停留場の西半粁、寺町にある。應永年閒領主細川滿元が日隆上人を開山として大物浦に建立したのを、元和六年幕命によつて現地に移し、文政五年火災に遭ひ多數の堂宇を失つた。本堂等はその後の再建であるが、唯開山堂及三光堂は火災を免れて舊態を存し國寶となつて居る。
本堂 山門を入つて正面に建つて居る。五閒六面入母屋造、本瓦葺、文政六年の再建である。
開山堂[國寶] 本堂の後庫裡と接續して建つて居る。文正元年の創建で、元和の移建改修を經て居るが、桃山時代の特徵を備へて居る。三閒九面の長い建物で、前方三閒二面の外々陣と、中央三閒三面の外陣と、後方三閒四面の祠堂卽ち內陣とに分れて居る。屋根は撞木造卽ち正面入母屋造をなし、その前流に軒唐破及庇を作り出し、その正面甚だ珍奇である。後流からは切妻屋根を後方に突き出し、全部本瓦葺である。內部には華麗な裝飾を施し、最奧の佛壇には享德三年堺の佛工淨傳作と傳ふる木造の開山日隆上人坐像[國寶]を安置してある。玉眼入彩色、法服合掌の肖像彫刻である。
三光堂[國寶] 山門を入りて左手にあり、前面には江戶末期に建てた五閒三面入母屋造の拜殿がある。慶長二年の再建と云ひ、三閒社流造本瓦葺の神社建築で、繪樣彫刻裝飾等に桃山の特色が見られる。
寺寶中珠數丸の劍と云ふ太刀一口も國寶である。