広徳寺

廣德寺
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

尼崎駅から約550m、寺町にあります。瑞雲山と号し、臨済宗大徳寺の末寺で、室町時代の明徳元年(1390年)正印の開山です。天正10年(1582年)羽柴秀吉が織田信長の変を聞き京に引返す途中、この地で明智光秀の伏兵に襲撃されたのでこの寺に逃れ、さらに隣寺栖賢寺に入って髪を剃り僧に変装して寺僧とともに味噌を摺り、これによって危機を免れたと伝えています。当時使用したという摺鉢は現在宝物として保存されています。

※底本:『日本案内記 近畿篇 下(初版)』昭和8年(1933年)発行

令和に見に行くなら

名称
広徳寺
かな
こうとくじ
種別
見所・観光
状態
状態違うが見学可
備考
昭和20年(1945年)の大阪大空襲で焼失、戦後に再建されています。
住所
兵庫県尼崎市寺町8
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

尼崎驛から約五五〇米、寺町にあり。瑞雲山と號し、臨濟宗大德寺の末寺で、明德元年正印の開山である。天正十年羽柴秀吉が織田信長の變を聞き京に引返す途中、この地に於て明智光秀の伏兵に要擊されたので當寺に逃れ、更に鄰寺栖賢寺に入つて髮を剃り僧に變裝して寺僧と共に味噌を摺り、以て危難を免れたと傳へて居る。當時使用したと云ふ摺鉢は今寶物として保存してある。

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