尼崎市

尼崎市
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

尼崎駅所在地。蓬川、庄下川および神崎川に沿って、東西約2.4km、南北おおよそ4.3km、面積7.2km²弱です。水路が縦横に走り、築港も竣成し水運の便がよく、汽車電車の往来が頻繁です。この地は往時松平氏の城下でした。明治38年(1905年)頃阪神電鉄が開通してから、会社や工場の設立が年々多くなり、人口はにわかに増加し、大正5年(1916年)4月1日市制が施行され、工業地としてなお繁栄し、小大阪の名に恥じないものです。工場数は大正6年(1917年)に68でしたが、昭和5年(1930年)には126となり、工場生産額は2,400万円から5,800万円となり、金属工業、ガス電気工業に次いで機器工業、化学工業、窯業および紡績工業等が主なものです。市外にも工場が多くあります。市街の繁華地は東本町、南城内、西本町などです。

※底本:『日本案内記 近畿篇 下(初版)』昭和8年(1933年)発行

令和に見に行くなら

名称
尼崎市
かな
あまがさきし
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
兵庫県尼崎市
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

尼崎驛所在地。蓬川、庄下川及神崎川に沿うて、東西約二粁四、南北凡四粁三、面積七方粁二弱である。水路縱橫に乘じ、築港竣成し、舟楫の便がよく、汽車電車の往來が頻繁である。この地は往時松平氏の城下であつた。明治三十八年頃阪神電鐵が開通してから、會社工場の設立されるものが年々著しく、戶口頓に增加し、大正五年四月一日市制を布かれ、工業地として益繁榮し、小大阪の名を空しうしない。工場數は大正六年に六十八であつたが、昭和五年には百二十六となり、工場生產額は二千四百萬圓から五千八百萬圓となり、金屬工業、瓦斯電氣工業に次いで機器工業、化學工業、窯業及紡績工業等が主なるものである。市外にも工場が多い。市街の繁華地は東本町、南城內、西本町等である。

尼崎・甲子園のみどころ