末の松山
末松山址
昭和初期のガイド文
塩釜駅の西南3.5km、多賀城村八幡にあり、宮城電車多賀城駅の西南0.5km、丘上に古松が2本残っているのみです。往昔は有名な名所として詠歌多く、室町時代の観応年間(1350~1352年)僧宗久の紀行に見えているからその頃すでに景勝地であったと思われます。
夕日さす末の松山霧晴れて 秋風かよふ波の上かな、宗久
※底本:『日本案内記 東北篇(初版)』昭和4年(1929年)発行
令和に見に行くなら
- 名称
- 末の松山
- かな
- すえのまつやま
- 種別
- 見所・観光
- 状態
- 現存し見学できる
- 住所
- 宮城県多賀城市八幡2-8-28
- 参照
- 参考サイト(外部リンク)
日本案内記原文
驛の西南三粁半、多賀城村八幡にあり、宮城電車多賀城驛の西南半粁、丘上に古松が二本存するのみである。往昔は著名なる名所として詠歌多く、觀應年閒僧宗久の紀行に見えて居るからその頃尙勝地であつたと思はれる。
夕日さす末の松山霧晴れて 秋風かよふ波の上かな、宗久