石川町
石川町
昭和初期のガイド文
白河駅の東23km、須賀川駅からは東南20km、ともに自動車の便があります。町は阿武隈川の支流北須川に沿って水郡線の経過する予定地にあたります。地方物資の集散地で、春の馬市が賑わいます。この地は鎌倉時代石川荘の地頭総領職が治めたところで、後石川昭光がここに城を築き三蘆城と呼びましたが、安土桃山時代の天正18年(1590年)になって伊達氏に属しました。戊辰戦争では官軍の参謀板垣退助が兵を入れてこの地を守ったこともあります。町の西端の山上、郷社石都々古別神社の北三蘆城址と称するところがあります。また町の西北にある長泉寺に石川氏の墓があります。
※底本:『日本案内記 東北篇(初版)』昭和4年(1929年)発行
令和に見に行くなら
- 名称
- 石川町
- かな
- いしかわまち
- 種別
- 見所・観光
- 状態
- 現存し見学できる
- 住所
- 福島県石川郡石川町
- 参照
- 参考サイト(外部リンク)
日本案内記原文
白河驛の東二三粁、須賀川驛からは東南二〇粁、共に自動車の便がある。町は阿武隈川の支流北須川に沿ひ水郡線の經過する豫定地にあたる。地方物資の集散地で、春の馬市が賑ふ。この地は鐮倉時代石川莊の地頭總領職が治めた所で、後石川昭光がこゝに城を築き三蘆城と呼んだが、天正十八年行いて伊達氏に屬した。戊辰の役には官軍の參謀板垣退助が兵を入れてこの地を守つたこともある。町の西端の山上、鄕社石都々古別神社の北方三蘆城址と稱する處がある。また町の西北にある長泉寺に石川氏の墓がある。