白河関跡

白河關址
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

白河駅の南10km、白棚鉄道古関駅の西南7km、古関村旗宿集落の南端に近い小丘で、阿武隈川の支流白川の谷頭にあります。丘の登り口には松平定信の建てた「古関蹟」と題する碑があります。丘上には約100m²の空濠を巡らせて内側に土塁が築かれています。これが関の警固の館跡です。この関は初め菊多すなわち勿来剗と並び称され、蝦夷防備の要地として早く上古から設置され、平安初期まで厳然としてありましたが、現在の遺蹟は恐らく安倍頼時が奥州を領して衣川に拠点とした時に、この関をもって警固とした頃からのものでしょう。鎌倉時代の文治5年(1189年)源頼朝が藤原泰衡討伐の兵を進めた時、梶原景季が「秋風に草木の露を払はせて君が越ゆれば関守もなし」と詠じたように頼朝の兵は一戦も交えずにこの関を通過することができました。その後関の停廃の時期は明かでありません。なお関跡塁濠の北隣には丘の南の畑地から移された白河神社があります。さらにこの丘は石器時代の遺蹟であって、土器の残片や石器などが往々発見され、神社にもその2~3を所蔵しています。

旗宿から南行約4km、ようやく迫った山峡に入って峠に達すると、「従是北白川領」と記した石標が立ち、路傍山祠の石階を昇れば杉木立に囲まれた小祠があって、関東と奥州の境の神が祀られています。ここから坂路を南に下ると追分の集落があります。

※底本:『日本案内記 東北篇(初版)』昭和4年(1929年)発行
白河関跡

令和に見に行くなら

名称
白河関跡
かな
しらかわのせきあと
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
福島県白河市旗宿関ノ森
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

白河驛の南一〇粁、白棚鐵道古關驛の西南七粁、古關村旗宿部落の南端に近い小丘で、阿武隈川の支流白川の谷頭にある。丘の登り口には松平定信の建てた「古關蹟」と題する碑がある。丘上には方約一〇〇米の空濠を繞らして內側に土壘が築かれて居る。これが關の警固の館址である。この關は初め菊多卽ち勿來剗と竝び稱せられ、蝦夷防備の要地として早く上古より設置せられ、平安初期まで嚴然として存したが、今の遺蹟は恐らく安倍賴時が奧州を領して衣川に據つた時に、この關を以て警固とした頃からのものであらう。文治五年源賴朝が藤原泰衡討伐の兵を進めた時、梶原景季が「秋風に草木の露を拂はせて君が越ゆれば關守もなし」と詠じたやうに賴朝の兵は一戰も交へずしてこの關を通過することが出來た。その後關の停廢の時期は明かでない。尙關址壘濠の北鄰には丘の南の畑地から移された白河神社がある。更にこの丘は石器時代の遺蹟であつて、土器の殘片や石器などが往々發見され、神社にもその二三を藏して居る。

旗宿から南行約四粁、漸く迫つた山峽に入つて峠に達すると、「從是北白川領」と記した石標が立ち、路傍山祠の石階を昇れば杉木立に圍まれた小祠があつて、關東と奧州の境の神が祀られて居る。これより坂路を南に下ると追分の部落がある。

白河のみどころ